件の聴覚過敏シンボルマークを用いてグッズとして頒布して下さっている方々には、充分な対価や利益を得て頂くべきと私は考えています。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) 2018年11月25日
福祉というものは決して善意のみに依存すべきではなく、社会の「仕組み」として組み込まれてこそ機能します。
もし善意に頼れば、負担が大きくなって浸透しません。
そもそも私自身がアレを善意で作っておらず、いわば単なるマーク屋の「仕事」の一つにすぎません。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) 2018年11月25日
私とてケチな浪速の商人にすぎませんからゼニにならない事は嫌いですし、ケチであるがゆえに、役に立たないモノを作る事に手間暇をかけるのはもっと嫌いです。
少しでも役に立てて頂けるなら幸いです。
版権の関連で出さないけど、例のラーメン漫画で坊主の人が力説していた、対価を支払うことで人はちゃんと仕事をする。そこには責任が発生するから。ボランティアとか無償奉仕の類はすぐに息切れしてしまうしモチベーションも駄々下がりになってしまうという話を思い起こすし、それは決して悪い話では無く当たり前の性質でしかないと考えている。
聴覚過敏シンボルマークでの話だけと、それに限らず、純粋なボランティア活動とか善意のみでの行動は、絶対に長続きしない。それを前提として物事を考えたり、ましてや仕組みとして強要するのは問題外。
コレはとても大事なコトだ。
— もっさん (@mossan_kareta) 2018年11月25日
人の善意による社会福祉は決して継続しない。
ちゃんとビジネスとして成立させてこそ長続きする。
人の善意を大事にするなら、まず善意を支える生活基盤が大事だと気づくことだ。 https://t.co/InlT4krIBJ
福祉事業など(家事、育児、教育、介護など)が「善意に(のみに)基づく」という幻想が世の中を狭く息苦しくしてると思うな。
— きっと冷奴【非公式】 (@hiranori1962091) 2018年11月25日
正当な対価を支払い、正当な対価を貰うという、当たり前の事が定着すると良いな。 https://t.co/NT77Rh4xp1
結局のところビジネスとして成り立つ仕組みを作り上げることこそが、善意活動を継続維持発展させる要では無いかなという気がする。要はリソースをどこから持ってくるかというもの。善意活動自身で創生するのか、他のリソースを作り上げる事業と完全に連動させるのかということだな。
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