ざっくり意味がわかればいいと言う場面で機械翻訳を利用するのはわかるんですが、商品としての翻訳を作り出す際に機械翻訳の出番はないと思うんですよね。精度95%と言われても、結局出力を全て人が確認・修正しなきゃいけないわけで。精度95%の電卓くらいに役立たない。
— hazuki (@hazuki_8116) 2018年12月18日
機械翻訳を「精度95%の電卓」と例えるのは絶妙。「答えは一瞬で出てくるけど、正解かどうかは人間が検算してみないと分からない電卓」が使えるのは、極めて限られた用途のみ。 https://t.co/P2vJ35KxmQ
— Munehiko Matsuyama (@donkeydragonfly) 2018年12月18日
確率というのは同じ数字でも状況によって非常に有益なものとして判断されることもあれば、役に立たないレベルでしかないと認識されることもあるという好例。当方はざっと意味を知るためにウェブサービスの機械翻訳を利用していて、昨今の精度向上で随分とお世話になっている状態。昔は専用の翻訳ソフトを買ってきて立ち上げて翻訳し、それでもぐだぐだな結果しか出てこなくて単語単位で辞書引きをしてどうにかそれっぽい訳を作り上げていたものだけど。
最新のウェブ翻訳だと正直言って比類なき精度となっているので、そのまま手を加えなくてもざっと読み程度なら大体意味が分かってしまう。けど、やはり時々首を傾げる言い回しが出てきたり、それは違うだろうと画面上にツッコミを入れてしまうケースがあるので、費やす時間と労力が多少減り、海外の文面を読まざるを得ない時の躊躇感が少々減ったかな、という程度の話に留まっている。ましてや他人に提供する商品としての翻訳文としてって観点で考えると、これはまだまだ無理だよね、というのが結論にならざるを得ない。
「95%の精度」は、例えばミサイルの命中精度なら素晴らしいものではあるし、飛び込み営業の成功率ならその営業の人は天才的才能の持ち主となる。けれど翻訳の場合、95%の精度となると残り5%の部分で全体がアウトになってしまう。プログラムで1行、いや1文字でも打ち間違えがあると全体が走らない、あるいは暴走してしまうのと同じ感覚。あるいは料理で砂糖と塩を間違えるとか、分量を1キロと1グラムで勘違いしてしまうとか、そういう話。
だいたいの意味がわかればいいやー、95%ならすげーじゃん!と思うのは早計で、意思疎通の手段で精度が95%というのは、言葉を扱う仕事に就いている人間からみると「使い物にならない」レベルです。ツイート1つに必ず誤りが混じっている感じ。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2018年12月18日
翻訳のプロに機械翻訳を使わせるというのも、人間工学、精神衛生を完全に無視した所業というか......。20回に1回の割合で間違える人と組んで、仕事になると思いますか。よしんば、学術的研究で「速くなった」という客観的な結果が出たとしても、私はそんなのと毎日毎日組んで仕事したくないですね。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2018年12月18日
95%という翻訳精度の値は確かにスゴイ。けれど、使う領域が限定されるし、大抵の場合は人間による再精査と手を加えることが必要になる。
無論、現状の翻訳技術をディスッているわけじゃない。技術にはその精度に応じた使い方とか使いどころがあり、それを見間違えると痛い目に会うこともあるので注意が必要、妄信しちゃいけないよ、ということ。
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