「本を集めるというのは強迫観念であり、気晴らしであり、病気であり、中毒であり、魅惑であり、愚行であり、運命である。それは趣味ではない。本を集める人は、そうせざるを得ないのだ」
— 藤井光/Hikaru Fujii (@fujiihikaru) 2018年12月7日
---ジャネット・ウィンターソン https://t.co/c01ePHgi9F
多分来年の夏ぐらいまではかかるのだろうなあというぐらいの大規模な自宅の資料整理と処分をしている最中でもあるし、積みプラとか積み本とか積みレゴなどの話もしているので、このへんの話はよく分かったりするという言い回わしの覚書。
自分の好きなものを購入して触って利用して積んでおく。使い倒すことは無いのに、何でだろうと第三者は思うかもしれないけど、子供の時の圧迫の反動とか、収集観念の巨大化した結果とか、存在自身がすでに意味があること(砲艦外交みたいなもの)だとか、ストックする事で自分の選択肢を広げるためだとか(仕立て屋の生地の収集みたいなもの)、切手や美術品のコレクションと何ら変わりは無いだとか、解釈は色々とあるのだし、どれか一つの要素でしかないってことはないのだろうし、人によって・対象物によっても色々と状況は違うのだろうけど。
ぶっちゃけると「さだめぢゃ」的なものがあるのかなあ、という気もする。本にしてもレゴにしてもプラモにしても、自分が調達したものが視界に収まる、自前のものとして存在しているってのが分かると、それだけで安心できちゃうんだよね。少なくとも手に入り損なう危険性は無い、という感じ。独占欲ってのもあるのかもしれないなあ、と。
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