ネットで「天竺」を調べると「インド」とする検索結果が多いけれど、史料ではもっと広い範囲の異国を指す場合もあります。『大乗院寺社雑事記』にある楠葉西忍の父「天竺ヒシリ」もその一例。なので『南都あやかし帖』では「天竺」にペルシアも含んでいます。 https://t.co/fJYPriNBvA
— 仲町六絵_新刊告知用 (@karakusashuzai) 2018年12月11日
「ネットで調べ」ることで、正しい答えを得るためには、調査のための適切なキーワードを知っていて、なおかつ真贋などを判定するリテラシーが備わっていることが求められますので、周辺情報がパッケージングされた書籍に頼るのが時間もかからないし、安全性も高いと思います。 https://t.co/c5mD2vgmzb
— 森瀬 繚@『這い寄る混沌』発売中 (@Molice) 2018年12月11日
ネットで簡単に「正しい情報」にたどり着けるという人の大半は、本などを読んで「正しい情報」が何なのか知っていた人だと思われます。そういう人が、「ネットに同じ情報があるから、本にお金を使う必要はないよ」と嘯くわけですが、前提知識のない人にそうした意見が益するところは何もありません。
— 森瀬 繚@『這い寄る混沌』発売中 (@Molice) 2018年12月11日
インターネットって元々大規模な国家間戦争が生じた時でも情報の伝達に齟齬が生じないように、情報をくまなく散らして断線の影響が極力生じないようにしたもの。電力網を網目のように張り巡らせるのと同じ。
ではあるのだけど、ネットに載っている、探れる情報って、実は案外限定的だったりする。ネット上の情報で満足できないこともないけど、それはあくまでも一部に過ぎない。松屋に入って牛めししか食べていないようなもの。
さらにネットで適切な情報を取得するのには、相応の技術と精査能力が必要になる。松屋の例なら券売機の正しい使い方を知る必要があるし、怪しげな情報による作法「みそ汁を全部かけて食べねばならず、しかも半分は残す必要がある」「紅しょうがは必ず丼一杯使い切ること」的なものを信じ込んでしまいかねない。
「何でも載ってる、ネットで調べれば間に合う」と言えちゃうのは
— KGN (@KGN_works) 2018年12月11日
・そもそも、知識が足りてないので文献が無いことに気が付けない
・自ら発信する作業をしたことが無く、ネットに載せられない資料の存在を想定できない
・他人の努力にフリーライドが当たり前だと思ってる
が揃ってる人だろうね。
ネットはすげー便利だけど、それに溺れちゃいけいなんだよね。指摘されている箇条書きは、大体あってる以上の言及ができない、パーフェクトだウォルターモード。
手持ちの本ですらネットに跡形もないものもあるのにそんな戯言w
— ladysmoker (@lady_smoker_) 2018年12月11日
わりとマジでインターネットで調べる。インターネットが全て。って増田社長と同じ考え方の人はいる。図書館に行って本を探すって選択肢が全くない。そういう人いるよね。
— 眠り鯛 (@livetosleep1) 2018年12月11日
当方が最近、年ベースで時間をかけてもいいから手持ちの資料を整理したいと思ったのは、この辺が一因でもある。自分の手に負えない、手掛けないであろう資料はそのまま放置してももったいないだけなので積極的に市場に流して他の有益な使い方をしてくれる人に譲渡してしまおう、分かってくれる人に見聞きしてもらおうとか、その上で自分の領域内のものは色々とデータ化してネット上に検証情報を載せていこうと考えていたりする。極力原本があるに越したことは無いからね。
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