河野外務大臣会見記録 (平成30年12月11日(火曜日)13時39分 於:本省会見室)(外務省) https://t.co/jlK2uxb7rR pic.twitter.com/Qe95Y18GMj
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2018年12月11日
河野外相の受け答えで「我々の後ろには国民がいるんだぞ!」などと吹き上がってる全てのメディア関係者に言いたい。
— 雨雲(@N74580626) 2018年12月11日
お ま え 誰 や ね ん wwwww
先日の河野外相の質疑応答で新聞記者や一部界隈が大騒ぎしている件。前後のあれこれをしっかりと把握していればあのような内容になる、するのが国益として一番叶っているのは容易に理解できるはずだし、報道もむしろそういうやりとりになる理由ってのを説明すべき立場にあるはずなんだけど、指摘されているような主張で大騒ぎしているのが実情。仕事しろ、というツッコミをしたくなる。
議員は国民の選択だがあなた方記者を選択した記憶はない。当該記者会見は最初からノーコメントもありと言われていて、事外交に関することなら当たり前だ。もう一度いうが記者に我々の意思を委ねた記憶はない、僭称はやめなさい https://t.co/zv9kDFEnWx
— ladysmoker (@lady_smoker_) 2018年12月12日
大変申し訳ないですけど、ご自身の勝手都合で市民の代表を名乗るのはやめて頂いていいですか?
— 恭 (@kyo_aki) 2018年12月12日
貴方は市民の代表として質問しているのではなく、新聞社の代表として質問をしていらっしゃるのですよね?納税者の代表として御質問されるのでしたら、貴方一個人の質問として挙げられてはいかかでしょうか
熊谷徹という記者が、自らの驕りから恥ずかしい勘違いをしている。有権者の厳正な投票によって選出された国会議員は国民の代表と言えるが、誰からも信任を受けていない一介の記者など国民(または市民)の代表ではない。当然「市民の代表としてふるまう」という特権も誰からも与えられていない。 https://t.co/nhSSUaYiKb
— 井上リサ(短歌朗読)★ダダマ渦潮祭1/5 (@JPN_LISA) 2018年12月12日
「記者は市民に代わって質問している」これは事実ではある。ただ、誰もお願いしていない。一部はしているかもしれないけど、全体の代表であるとの担保も裏付けも契約も法的取り決めも無い、自称レベルでしかない。これがまかり通るのなら、俺様は日本国の終生大統領だ、俺様がそう決めたんだから、絶対だっていうのと何ら変わりは無い。
一方で議員は国民の代表として、選挙によって選ばれた存在。今件は物まねをしている人が本物に向かって、俺が本物だいうことを聞けと怒鳴っているのと同じぐらいに滑稽な構図ではある。どなたかが指摘していたけど、これこそオールドメディア、レガシーメディアの驕りの実情の表れではないかな、という気がする。勝手に代表になるなよ、的な。
前々から僕も提唱してるけど、メディアが市民代表を名乗るなら、メディアを市民がリコールしたり、落選させたり、辞任させたりする権限を市民に与えてほしい。
— 加藤AZUKI@「忌」怖い話Echo怪談 (@azukiglg) 2018年12月12日
やらかしても排除されない点でメディア記者って官僚以下だと思うんだが。
何というか自浄能力がなく、市民の監視も受けてないし。 https://t.co/mUqeFfvVR1
以前から指摘されている記者の許認可制。ただ、これを制度化してしまうと報道の自由ガーという大騒ぎをする界隈は出てくるし、悪用する筋も出てくるのは必至なので、難しいところではある。そもそも報道って何よ、という概念が大きく変わっている、揺らいでいる時点で、これまでの報道にかかわる色々なしきたりやルールや原則や社会通念が、大きく変化しているとは思うのだけどね。
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