これは明らかな間違いであると申し上げておく。圧倒的努力が報われないのはそれが正しい努力ではないからです。 https://t.co/ATB2Tu4JfW
— Koichi Kawakami (@koichi_kawakami) 2018年12月12日
能力で稼ぐ人達を27年見てきた経験で言うと...
— ブラスコウ/秋友克也 (@sjxqr393) 2018年12月13日
努力は成功の確率を上げる。掛け算で。
大した才能も努力もないのに閃きだけで一発当てて一生困らない人もいるし、豊かな才能があり努力を積みながら芽の出ない人もいる。確率なので絶対はない。
そして掛け算なので元の素質の差が大きく影響する。 https://t.co/S7oEGjSyol
そして見当違いな努力を積む人間は、「適切な努力の方向を見定める」という根本的な素質が欠けているので、最初から問題外。
— ブラスコウ/秋友克也 (@sjxqr393) 2018年12月13日
努力したっていいことないじゃんとか、あの人は努力をほとんどしてないけど上手くいってるじゃんとかいう話もあるけど。そして今件の話は大元として「成功しないのは努力が足りないからだ」というものだけど。いずれも違うよなあ、という見解の上での覚書。
TPRGをやった経験がある人なら分かると思うのだけど、概念的にはサイコロを振る回数が努力の度合いだったりするんだよね。成功するか否かはサイコロの目で決まる。努力をすればするほどサイコロを振る回数が増えるので、成功確率も上がる。けど、元々全部外れの値しか書かれていないサイコロでは何回振っても成功はしないし、振る人や条件によっては最初からサイコロの目の半分が当たりの値だったりする。下手をするとサイコロが100面ダイスでしかも当たりが1つの目しか無かったりする。
「努力さえすれば誰でも上手くなる」は正確ではないが、別に上手くなくてもカラオケは娯楽になり得るように、途中で引き返してもハイキングやツーリングは楽しめるように、下手の横好きのままでも趣味は成立する。絵に限らずあらゆる事がそう。上達や大成は目的になり得るけど、到達する義務はない。 https://t.co/kKFkv9IdUU
— ブラスコウ/秋友克也 (@sjxqr393) 2018年12月10日
そして成功とかゴールという概念のみでとらえていると、別の軸の発想を忘れてしまうから注意が必要。プラモデルで賞を取ったり雑誌に掲載され連載を持つようにならなくても、自分で好きに作って満足できれば、それはそれでアリだし、自分自身にとっての存在意義はあるのではないかなという気がする。日々の食事が良い例だな、これ。絶賛される料理を作れなくても、毎日の料理の中でそれなりなものを創れれば、それで良し、ということではある。
「圧倒的な努力は必ず報われる」という文字列を見て思ったこと pic.twitter.com/M4xzr8Chp0
— よしたに@いつモテ最終巻発売! (@dancom) 2018年12月13日
閑話休題。最初の「成功しないのは努力が足りない」ってのは、一歩間違えるとこれになるから要注意なんだよね。ペテン師の常套句でもあったりする。病気が治らないのはあなたの信仰が足りないからだ、もっとお布施シナサイってやつだ。
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