インターネットしてると、何につけても自分の上位互換しか存在しないのでやる意義を感じなくなる。
— けもみみおーこく公式 (@kemomimi_oukoku) 2018年12月12日
(自分が下手なのは自分が一番知ってる)
しかし、かと言ってやめた所で何もないから選択肢としてはやるしかない。
そんなこんなで何も得意と言えるものがないまま、今もふわふわしてます。
「お前の代わりはどこにもいないが、上位互換なら沢山いる」を思い出すわ
— MAKI/創田ぐみ@月曜コ31a (@shmaxion) 2018年12月13日
似たような話はちょいと前にしたような記憶もある、インターネットによる情報の質の変化に伴う問題の話。情報の公開と検索・収集の容易化により、自分が欲しいと思われる領域の情報がこれまでよりもけた違いに楽になり、たくさんの量が入るようになったのがインターネット、特にソーシャルメディアでの可視化の効用。
ただ、人間ってのはあまり都合よくできていないし処理能力にも限界があるので、どのような物事においても自分が世界の中では中途半端なポジションでしかないように思えてしまう。なんか結構上にいるかと思ったのに、自分よりももっとスゴイ人、偉い人、能力のある人が山ほどいるやん、自分の存在意義って何だろう、意味が無いんじゃないかと思ってしまいかねない。
世界中でナンバーワンの技術なり能力を持っているのなら話は別だけど、ほとんどの人は自分の上位互換がいると考えてもいい。ただそれって、そう考える時点で、自分の位置づけの軸とか基準を固定化してしまっているということになる。人の位置づけって1つの基準だけじゃないよね?無数のベクトルがあり、その合力によって評価されるもの。
さらに言えば、たとえ自分に上位互換があったとしても、それがどうしたという感もある。上位互換が存在していても得意ならばそれでいいし、最上位になる必要は無い。それなりに数字が出せれば、満足できればそれでいいし、上があると認識できたのなら逆にそういうことが可能であることをすでに証明してもらっているのだから、やる気も出てくる。要はものの考え方次第ではあると思うのだな。
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