数理的な話の難しさと理不尽さ

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先日の【「可能性はゼロではない」と「ほぼあり得ない」】にも通じる話だけど、科学者に限らず理系的な物事の考え方をしたり論説を作り上げる際には、ある程度以上の整合性や証明、証拠ってのが必要になる。可能性も考慮すると表現を慎重にしなきゃならなくなる。ゼロでは無いのならそのように語らないといけない。1+1が2であるという断言ができるだけのものが無けりゃ、言っちゃいけないよ的なものがある。

けれどそれを正直に書くと、どうしてもぼやけたものとなる。100%と99.9%では事実上同じようなものと判断できるケースもあるのだけど、世間一般にはまったく別物となってしまう。絶対安全ですなんてものは存在しない。

で、そういう真面目なお話よりも、声高に騒いで適当な内容を断定形で語った方が、人は信じやすい。「人類は滅亡する!」がいい例だ。

だからエビデンスの要らない、書き手の脳内社会の常識で断定できる、論説系的な話とか社会文化系の話を、さも科学的な、数理的なもので書き上げたものがウケは良いし、信じ込まれてしまうもの。正直者は馬鹿を見るとか、泣いた子供はもう一つ饅頭をもらえるとか、そんな感じ。

「俺様の語った内容が正しい。俺様がエビデンスだからだ」。無茶苦茶な話ではあるけど、まさにそんな感じなんだよね。非常に理不尽ではあるのだけどさ。

見方を変えれば。そういう手法を得意とする人、あるいは無意識に身に着けている人は、何度でも同じことを繰り返す。気が付いたらその界隈自身の話全体に近寄らない方が、身のためではないかな。

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このページは、不破雷蔵が2018年12月22日 07:08に書いた記事です。

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