今年得た知見の中でもなるほど、と思ったのは「NetflixやAmazon Primeで一気見される作品は、全話での尺が重要」ということ。13話のアニメは休日の昼から深夜で十分終わるので消費が促進されて、まとまりもいいと聞いて「なるほど」と。オリジナルドラマも1シーズンの総話数が減る傾向。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年12月28日
ただ、1クールアニメ配信と配信の相性は「結果的にそうなった」のであって因果関係には注意。ドラマの話数変化も多様な理由があるので、因果関係には注意を。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2018年12月28日
でも「コンテンツは消費可能な時間と心の余裕に従属する」ので、非常に納得感がある。
50話ぐらいのシーズンものをまとめて借りてきて昼間から徹夜して丸一日かけても観終えられずに頭を抱えてしまって、それでもなお観続けるとか、ちまちまと逐次借りていくとかいうのが昔の映像作品の楽しみ方としてはメジャーだったはず。選択肢が少なかったり、見る環境が限定されていたからってのも理由だったのだろう。
けど今では選択肢は作品の上でも再生環境の上でも山ほど増えている。それこそけた違い。だからこそ、山盛りのコンテンツの中で、一つ一つへの注力時間はできるだけ短縮させる必要がある。あまりにも時間がかかりすぎると、他のコンテンツにまで手が回らなくなる。つまみ食いとかバイキング料理的な感覚。スマホの多様でぱっと見・ざっと見感覚に慣れてしまっているってのも併せ、「つまみ食い文化」と呼んでいる...とは以前も言及した話。
今回の指摘は、動画映像提供サービスで一気見される作品は、半日ぐらいで観終えられるのが人気があるという話にはなるほど感。対象コンテンツの尺がこれまでのような長さでは付き合ってらんないよ、という感じになるのだろうな。
まぁ、「コンテンツは消費可能な時間と心の余裕に従属する」ってのは大いに納得する。あちらにも手をつけたいこちらにもチェックを入れたいという魅力あふれるものに囲まれている中では(それこそが情報化社会ではありモノ余り的な実情ではあるのだけど)、間延びしているものは引かれてしまう、と。
従来型携帯電話のゲームの展開時にも、ゲーム機のようにずっと画面とにらめっこしているのではなく、必要な時に瞬時に応対して結果が出てくるまで放置していても良いものとか、数分で楽しめるパズル系ゲームの需要が高いという結果が出ており、時間の使い方、対応の仕方が変わって来たなあ、という感を覚えた経験がある。コンテンツ全般に「つまみ食い文化」が浸透し始めたのかな、という気はする。
スマホアプリで人気のFGOをはじめとした、ストーリーを絡めたRPGやSLGの類も、家庭用ゲーム機のゲームやパソコンゲームと違い、じっと画面に相対している必要は無い。まぁ、プレイヤーがその気になれば同程度の注力が求められるけど(笑)。昔流行った長時間プレータイプのゲームは、一般受けは難しい時代なのかなあ、という気もする。あるいは知名度だけで調達して、最後までプレーした人の割合は、随分と低いものになっているのではないだろうか。
話を戻して。アニメやドラマの尺が短くなっているのは、指摘されている通り、視聴者側の需要(まずは観てもらえなければビジネスにならないからね)以外に、制作側の予算の問題とかリスク勘案の事情もあるのだろう。制作リソースを確保しきれないとか。この辺りの話は、映像コンテンツに限らず多方面で類似の傾向があるだろうから、正しい分析記事があれば読んでみたいものではある。
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