年末年始を海外で過ごされる方もいる事でしょう。国が違えば安全も習慣も、色々な「勝手」が異なりますから、なにとぞ慎重さを怠らずに休暇をお楽しみ下さい。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) 2018年12月29日
限られた、見える範囲と言えど、その国の何かを見て学ぶ事は大切です。
しかしそれで「分かったつもりになる事」は個人的に賛成できません。
そこに住む人すら分からない事があるのですから、旅人が感じた事を「答え」として声高に叫ぶのも慎むべき行為かと考えます。
— 株式会社石井マーク (@ishiimark_sign) 2018年12月29日
以前「イスラエルに旅行した事があるから反パレスチナ派です」という御仁も目にしましたが、然らば逆もある訳です。
私の国際規格図記号の仕事にも「主観」の排除は大切です。
年末年始のお休みを利用して観光地に足を運ぶ人も多い。普段の生活環境から離れて新鮮な状況下で時を過ごすのはリフレッシュの方法としては最強のものだし、普段からあこがれていた場所にいって色々と堪能するのも素晴らしい休暇の楽しみ方ではある。
されど、その場で感じた事を「個人の感想です」に留めるのではなく、真実であり全情報であり確定的なものであると認識されると困ってしまう。それが全体像であるとどこの誰が保証するのかね、的な。
実体験はとても大切。けれど、自分の虫眼鏡だけでのぞいた世界が、その世界の全貌を指し示していると考えるのは軽率に過ぎる。こういう面白いものがあったよとの感想はいいけど、だからこの地はすべて面白いとか強固に語るってのは違うんじゃないかなと。
ある大学の先生曰く「他所の人(その先生)が凄い事を言ったからと鵜呑みにするな。そいつ(本人)はいつか出て行くんだぞ?住んでいる人たちが解決せずにどうする。」
— 向嶋茂森 (@mukaijima_S) 2018年12月30日
他人事だから勝手を言える場合もある。しかも後始末もしない。 https://t.co/wIh2pRY5U8
こういう観点もある。旅の恥はかき捨て...とはベクトルが違うかな。たとえデタラメを言ったとしても、責を取る必要が無いから自由に物言いができる。そういう悪意すら持っている可能性もある。
結局この辺りの問題って現場至上主義とか出羽守の話と軸を同じくするところ。現場の声は大切だけど、それを抽出する人の感性とか思惑とか、抽出する対象の領域については考慮せずに、まず正しいという結論がはじめにあって伝える場合が多いし、そしてそれを鵜呑みにしてしまう風潮があるのも否定できない。むしろそれを利用、悪用しているタチもあるから始末に負えないのだよねえ......。
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