報道に求められているのは「10を聞いて内容を歪めずに2か3くらいに要約して、その要約に1のタイトルをラベリング」すること

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賢者的ポジションにある人の代名詞的な表現として「1を聞いて10を知る」ってのがある。ただその場合、「10」の部分がすべて正しいものであるという前提がある。「10」を知ってもそれが多分に間違いだったら、何の意味も無い。単なるジャンクな情報で水増しをしているだけのスットコドッコイとなってしまう。

それに、「1を聞いて10を知る」のには、その「1」にかかわる様々な背景を事前に知識として納めており、そのあれこれを引き出して肉付けするだけの経験と知識が必要になる。骨だけから肉付けして人物像を浮かび上がらせる、復顔法ができる検死技官のようなもの。素人が真似をしても、デタラメになってしまうまでの話。

それはそれで需要はあるのだけど、報道などの一般情報の配信・受信の中では、「10を聞いて内容を歪めずに2か3くらいに要約して、その要約に1のタイトルをラベリングできる人」が必要になる。要は「分かりやすく正しい要約」ができる技術。完全にゆがめないってのは不可能だから、極力本筋を違わずに、主旨をまとめるだけの能力が必要になる。カレーライスを評価したいのに、福神漬けの部分やスプーンだけにスポットライトを当てる人はオタンコナースと判断されてしまうわけだな。

無論これはとても難しい技術になるし、日々精進が必要なのは言うまでもない。だからこそ、これが特に求められる報道界隈は社会的意義のあるポジションとして位置づけられていたし、色々な特権が与えられていたし、肩書も相応に評価されるものだった。けれど、「10を聞いて内容を歪めずに2か3くらいに要約して、その要約に1のタイトルをラベリング」ことを今の報道界隈がどこまでやっているかとなると、首が獅子舞状態になってしまうぐらいに傾げてしまう。

「10を聞いて2か3くらいに要約して」はやっているだろう。そうで無ければ新聞やテレビの尺が足りなくなる。けれど「内容を歪めずに」「要約に1のタイトルをラベリング」はこなしているだろうか。及第点はおろか、Fの評価ですら難しい。求められていることもしていないのに、権利ばかりを強固に主張してくる。これが現状の報道界隈であり、そこにさらにライバル的なポジションの情報伝達媒体が多数出てきたからこそ、さらにかたくなさが目立ってきたという感はある。

いや、元々その程度のレベルでしかなく、つまりまともに「10を聞いて内容を歪めずに2か3くらいに要約して、その要約に1のタイトルをラベリング」はこなしていなかったのが、暴露されるようになってきただけなのかもしれないけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月27日 08:01に書いた記事です。

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