「見えない放射線の恐怖と戦う作業員達」なんてやたらと言われましたけど、見えなくても測りゃ容易に分かるんで、むしろ五感に頼るより確実で、別に怖くもなけりゃ戦う必要もないんですよね。高かったら逃げればいいww https://t.co/P7sRcIcCE8
— 竜田一人 (@TatsutaKazuto) 2018年12月29日
見えないものを見えるようにする方法の一つが科学。ヘンテコなことを言っている人たちの意見って科学的じゃない単なる感情論であることがよくわかります。 https://t.co/WeYPY8Iyz0
— 桑満おさむ (@kuwamitsuosamu) 2018年12月30日
科学だけがそれを成し得ることができるってわけでは無いけど、物事を可視化する方法の一つが科学であることに間違いない。見えないもの、感じられないものを自分の直感とか思惑とかで判断すると、そこには多分に偏見や勘違いや記憶違いや感情が入り混じり、公平なものではなくなるしいい加減なものとなり、当人自身にはいいかもしれないけど、他人には通用しなくなってしまう。
それを可視化して他人と共有できる価値観を構築するツールとなるのが科学に他ならない。他にもいくつ似たようなものは有るけどね。宗教とか。
放射能に限らず、『電気』も見えませんよね。
— 秋ゑびす●1/9-16 西本願寺 報恩講 (@yamashita99) 2018年12月29日
でも、一般の人は全然怖がりません。プロの電気屋さんがハラハラするくらいに。電気屋さんはテスターや検電器を常備して安全確認しています。
人は情報が無い状況を非常に恐れ、怖がるもの。災害時に情報が遮断され、不安に押しつぶされそうになるのが良い例。公的機関による絶え間ない情報提供が、治安の維持には大いに役立つことは言うまでもないし、数々の災害で実体験した人も多いはず。一方でガセネタやフェイクやデマによって扇動されてしまうこともあるので注意が必要だけど。無ければ無いで不安だし、あるのならあったで正しいものか否かを見極める必要があるという、難儀な話には違いない。
他方、情報が無いと恐れること無いってのも多々ある。指摘されている電気とかがいい例。放射線同様に非常に恐れてもいいんだけど、無謀に取り扱ったりする事例の方が多い。先日もボロボロになった線をそのまま使っていたら感電したって話が出てたぐらい。
可視化した方が怖くない、可視化した方が怖い、この違いは何なのだろう。科学が可視化の手段であるってこととともに、検証してみるのも面白そうではある。
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