「何件残ってる」「どこで買える」じゃくて、なくなってしまって二度と帰ってこないゲームの風景のために何かが残せないかとずっと思う。どこかの誰かによって整理された記録でなく。「オレが覚えていた」「オレが愛していた」ということについての落とし前がつけたいのだ。跡形も残らずみんな消える。
— ゾルゲ市蔵 (@zolge1) 2019年1月5日
情報は誰にとっても同じものであるはずで、その汎用性があるからこそ価値が出てくるのだけど。同時に他の誰かではない、自分自身が成した記録が欲しい。自分の手元にある、自分の考えで集められた分析結果、傾向のあるものを残し、落とし前をつけたい。
何となく矛盾するような気はするけど、同時に理解できる気がする。昨年夏あたりからの当方のサルベージ作業も、軸としては似たような感じ。自分の資料を手元において埋もれさせたままではもったいない、何か参照できるデータとして、自分が手掛けた、自分の考えた区切り、仕切り分けで情報として残したい。
生物は自分の遺伝子を残すために生き続け、子孫を増やすという本能がある。その本能に近いものがあるのかもなあ、という感は否めない。知の遺伝子、という奴かな。
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