読者に声が無かった時代はペンは強かった。
— tokino akari (@tokinoakari3) 2019年1月7日
書き殴りたい放題だもんな。
今は読者に声がある。
ペンの横暴はすぐに検証され反撃に遭う。
過去が如何にデタラメだったかの検証も進められる。
今はペンがダメな時代ではなくて、お前のペンがずっとダメだったと分かっただけなの。
報道界隈の決まり文句的なものの一つとして「ペンは強し」というものがある。色々と圧力をかけられたとしても、ペンで書き連ねる記事が訴えかける言葉の力にはかなわないよ、というもの。これはある意味で正しいのだけど、その力を濫用したり、力の魅力に取りつかれる人が増えてきたり、あるいは元々そういう人によるものが多分だったのか、言葉通りペンで人を好き放題に殴っている状態だったともいえる。読者は、書かれた対象は殴られるだけで、殴り返すこともできない。ただ耐え忍んで泣く、騙される、扇動される、ミスリードをされるだけ。
けれど今は読者もペンを持ち、記者側のペンを防いだり、反撃することが出来る時代。さらに情報の質が変わったので、過去から現在における「ペンは強し」の内情が明らかにされる。強権者の横暴に反撃する手立てとしての意味を持つペンが、実は自身も横暴な強権力でしか無かったという、あまり笑えない実情が次々と暴露され、しかもそれは現在進行形で継続しているから始末に負えない。
今はペンがダメ、だったのではなく、昔からずっとダメだった。それが可視化されたまでの話。無論、昔も今もしっかりとしたペンの持ち主もいることは否定しないけどね。
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