「好きな作品にファンレターを送りたいけど語彙が足りない」とか、「SNSで好きな作家を応援したいけどどう応援していいかわからない」というような嘆きを見かけるたびに、読書感想文のたぐいの課題図書を「生徒の好きな作品」にするだけで教育機会が爆増するのになと、つくづく惜しい気分になる。
— たられば (@tarareba722) 2019年1月7日
正直なところ、当方も読書感想文の課題は好きではなかった。本を読むのは大好きだけど、その感想を具体的に文面として体現し、さらに読めるように構築するのがとても苦手だった。文字そのものが汚いし、文章の切り貼りができないので(消しゴムで消してやり直しはできるけど)、苦労をして自分のコンプレックスと戦いながらの作業は、苦役でしかなかった。今ではワープロソフトでカット&ペーストができるし、自分の文字の汚さと相対することが無いので、鉛筆で書かざるをえなかった時のうっ憤を晴らすがごとく、ばしばしとキーボードを叩いているけど。
で、今回の引用文を読んで、色々と思うところがあった。まずは指摘されている通り、読書感想文の類では指定された本を読まねばならないから、それが負担になっているという人もいるだろう、好きな作品にすればいいのではってのは、いい考えだな、と。一部ではすでにそういう方向のやり方をしているとの話もあるような記憶もあるのだけど。まぁ、要は教え手側の意図が「本を読んでその感想を文章として体現化させる能力を身に着けさせる」のか「指定された本を読ませたい」のか、どちらかが肝なんだろうな、と。
個人的には別に、ドラゴンボールだろうとナルトだろうと、感想文を書きたい本があるのなら、それはそれでいいのではないかなと思う。さすがに漫画は方向性が違ってくるので、書籍の必要はあるのだろうけど。
同時に、自分が思ったこと、抱いた感想を文章の形にして第三者に披露できる状態にするってことの経験の積み重ね、修練は、自分が好きなものの思いを作者に伝えるツールを作り上げる訓練に他ならないのだな、という感がある。読書感想文で訓練しておけば、自分の好きな作家先生に思いのたけを書き連ねて贈り、伝えることが出来る。色々とステキだなと思っているけど、表現方法が分からないと悩むことも無くなる。
感想文を渋っている人には「自分の推しへの愛の言葉をスマートに書くための訓練だ」と説明すればいいのかなあと思ったけど、読書感想文を授業中にやらされるような年齢の人に、そういう説明をしても多分通じないだろうな(笑)。
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