報道機関は客観的立場でものを語ってほしい

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新聞は報道機関としてだけでなく言論機関でもあるから、何を語っても問題ないじゃんとうのが、メディア界隈の記者の人達の主張であるようで、とりわけソーシャルメディアでは構成員の記者が自前の認証バッヂ付きアカウントはもちろん、媒体の公式アカウント内ですら、自前の論調主張をニュース報道と同レベルの感覚で流している。

語る本人からすれば、それは事実と同じなのだから報道情報と同じように流しても問題ないじゃんというスタンスなのだろう。あるいは事実だと確信しているからこそ、虚偽で埋め尽くされている世の中に押し広めていかねばならぬという宣教師的なポジションを自負しているのかもしれない。

けれど受け手が求めているのは、媒体や構成員の思いや主張、論調ではなく、事実報道。百歩譲ってそういう考え方があるというのを見聞きするにしても、事実とはちゃんと区別して述べてほしいものではある。手作りのパン屋さんに「これは自分が好きだから」とナショナルブランドのパンを手作りであるかのようにおいてみたり、愛する自分の子供が創った可愛らしいものだからと除菌などもしていないパンを他の商品に混ぜておいてしまうようなもの。

報道が事実ではなく主張を前面に押し立て事実であるかのように繰り返し伝えることで世論を誘導する。非常に怖いお話だけど、それが日常茶飯事的に起きている。

大元の音をそのまま拡声せずにノイズをしばしば乗せるようになったスピーカーは、修理に出すか廃棄処分にするしかないのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月11日 07:32に書いた記事です。

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