「わかんなかったら、その時勉強すればいいじゃない」って人、知識が単体で完結すると思い込んでいて、現実での活用はその知識をベースに上に10段ぐらい他の知識が乗っかってくるので、「必要になってからやる」をやってると教科書5冊分ぐらいの勉強をいきなりしないといけなくなる
— 古都こと (@kfurumiya) 2019年1月6日
先日の三角関数など要らぬ問題の補足的な話。語り手は自分の経験則ベースでの話のようだし、あるいは知らぬ知らぬのうちに使ってる場面があったかもしれないけど気が付かなかっただけという可能性もある。
加え、こういう話も想定される...というかその通りではある。必要無いものは別に学ばなくていいし、必要になったら学べばいい。それは一つの妥協案的なもので間違っていないように思えるのだけど、その取捨選択をするような対象か否かってのは、三角関数のような基本ベースの常識知識部分でやっていいものだろうか。理科とか統計とか要らないよね、外国人と話す機会も無いし英語も要らない、過去にタイムスリップするわけじゃないから歴史も必要ない。シンプルイズベスト。いいのか、それで。それを本人が望むのならば止めないけど、他人にまで布教するのは勘弁願いたい。
そして実際に、知識ってのはそれを使うプロセスにおいては、他の知識との融合や経験が大いに重要になる。入力した情報を過去の知識やそれ以降の新しい知識、経験と結び合わせ、自分の頭の中で体系化し、出力用の情報として整備していくことになる。だから、「必要な時に学べば」という姿勢を取ると、考えているベースの知識の何倍もの習得をしなきゃならないし、苦労も普通以上のものが必要になる。「必要になってから」学ぶってことは、時間が制限された状態での話だからね。
これって毎年年度末から年度明けになると話題に上る、パソコンとかキーボードの使い方にも当てはまるような気がする。パソコンの使い方、キーボードの使い方は、確かにスマホで概念的なものを知っていれば習得は早いだろうけど、それでも多分に無理が生じるし、非効率的な苦労もめがっさすることになる。だったら日頃から慣れておいた方がいいのではないかな、という気がするのは当方だけだろうか。
本当にそれが一生必要が無い、必要になっても知るかそんなもので済ませるつもりなら、別に構わないのだけどね。
コメントする