00年代から10年代になるにつれ、「オタクの共通言語」(例えばKeyやハルヒ)といったものが失われていった。共通して通っている作品などないのだ。でも共通言語が欲しい人はいて、それを淫夢やなんJ語が供給している(だから発展している)という説。(あとで文章にしておきたい)
— 木村すらいむ (@kimu3_slime) 2019年1月15日
漫画のパロディでも2000~の作品は正直通じる期間が短く、すぐに「ささらなく」なる。
— ざらぶ (@zarabu01) 2019年1月16日
若い人にでも80~90年代作品のネタの方が安定してウケるのよね...
(多分リメイクや、電子書籍なんかでみんな知ってるんだと思う) https://t.co/wgwOK4N7Cg
正直なところ共通言語という表現は多少オーバーかなという気はして、大きなカテゴリとか、行政区分ならば町ぐらいのレベルかな、という感じ。ゲーム界隈ならばドラゴンクエストとファイナルファンタジーとウィザードリィみたいな? といえば分かるだろうか。言葉のやり取りをするのには共通言語が必要だけど、趣味の世界でもそれを知っていなければ会話は難しい。ドラクエを知らない人にドラクエのエピソードを基にしたネタ話をしても通じないってところ。
共通言語化するためには、それを知っている必要がある。ところが指摘されている時代以降になると、今件ならば漫画やアニメのようなエンタメ業界が花開いた形となり、メディアも多様化して、選択肢がもりもり増えてきている。ゲーム業界も似たようなタイミングだった気がする。ゲーム雑誌が乱立した時期でもあったかな。
ある意味、今のゲームアプリでFGOが流行っているのもこの「共通言語」が一因なのかな、という気がする。だから例えば東方Project辺りで似たようなコンセプトの以下略。
この辺りの話って、「共通言語」の定義で大きくもめるところがあり、だから「町」という表現を使ってみた。ドラクエ町とかファイナルファンタジー町ぐらいの感覚だったのが、今では町の下の下の区分の何丁目レベルでの区分によるものが多数出ている状態。趣向の多様化、選択肢の増大。選べるものが増えたという観点では、自分の内底にあるものにいかに刺さるかについてよりストライクを望めるわけだから有り難い世の中なのだけど、共通言語という観点では利便性が落ちることになる。
これって音楽のミリオンセラーが少なくなったのと同じ現象。選択肢の多様化でビックヒットが登場しにくくなった。ロングテールをすくい上げるビジネスが活躍する時代。もっともこのような状況下でも、時折ヒットセラーが生まれ、共通言語化はする......
......のだけど、長続きはしないのだよね。数年前のヒットセラー本の内容とか、どれほどの人が知っているか。情報過多時代だから仕方が無いのだけど。
あれだねえ、バベルの塔と言語の多様化を思い起こさせる話ではある。
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