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— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2019年1月16日
これ、そうなんだよなー。
若い頃の松本人志って、若さに任せて滅茶苦茶残酷で、それがお笑いブームが終って閉塞してしまったお笑いを破壊するのに役に立ったんだけど、ずっとその調子で、でも三十五歳くらいから苦しくなってきてて、解決出来ないまま今に来てるのよなー。
現代の問題は歳を取った人が年相応に老けたがらない、辞めたがらない、っていうようなことだと常日頃手前は思ってるわけですが、こういうところでも、やっぱしその年頃の人が年相応に老けない、そのポジションに行かない、っていうことがあるわけか。
— 中村甄ノ丞あるある早くいいたい (@ms06r1a) 2019年1月16日
私はダウンタウンも松本人志もよく知らないけど、あのタイミングであの相手に対して最悪の冗談であって。コメディアンが笑えないことを言うなと。あえて言いにくいことを言うスタンスにしても、権力構造の犠牲になってる側を揶揄するのがどういう意味になるか分からんことないだろう。
— 猫七三=サン@がんばれまい (@neko73) 2019年1月16日
松本人志の場合、何というか80年代末から90年代後半辺りまでの笑いのボケの中で見せてたワードセンスが「ある程度幅の広い教養から導き出した物」じゃ全然無くて「尼の高卒芸人が単純に言葉を知らなかったから偶然エッジを生み出せてた」と一般人にも見抜かれた時点で芸人としては死んだんだと思ってる
— 内海 (@u23mjag) 2019年1月16日
おれは昔から「いじる」バラエティ番組は見ていて居心地が悪かったので、「あれは相手への侮蔑だ」という非難の声が上がるいまの風潮のほうがずっとマトモだと感じる。80年代〜90年代になって出てきたと思うんだよね、まるでスクールカーストの空気を模したようなバラエティ番組は。
— たけひ (@takehi1009) 2019年1月15日
某有名タレントがある事案に絡み、昔ならともかく今では眉をひそめるような発言を平気で対面相手に言及したことで、ツッコミが入る事案。色々考えてみたけど、当時の芸風ってのが多分に当時の社会風潮に加え、メディア環境にマッチしたものであるのかなという気がする。それをそのまま現在でもなし続けているので、いびつさを覚えてしまうと。
複数の理由が挙げられているけど大体同意で、加えるとすれば2つほど。1つは、当時は下の方のポジションにいて上に居る人に向けて放ったメッセージ的なものがあるので、粋がっていても受けることができた。けれど上のポジションに立ってからも同じようなことをしていたら、シラケてしまうのは道理ではある。
もう一つは、語る側の環境の問題。テレビなどのバラエティは基本として「同調強要番組」。極端なものとして笑うシーンで背景でワハハハという効果音的笑い声が聞こえ、面白いからここで笑うようにと促すってやつ。受け手の疑問や考えを吹き飛ばし、一体化させる。ある意味洗脳、という表現が適切かもしれない。
でもそれはメディアが少数で一方向だった時代ならではの手法で、情報にかかわる環境が変わった現在では、ひずみが生じてしまう次第ではある。
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