新聞や雑誌の切り抜き、テレビのキャプチャだからといって脊髄反射的に全幅の信頼を寄せて資料として使うのはいかがなものかモード。検索するとソースが反社機関紙だったり生成時の設定がぐだぐだだったり。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年1月19日
今朝がたツイッターのタイムラインに奇妙な図版が挙がってきて、ツイート主はそれを一次ソースとして色々と言及していたのだけど、画像の信ぴょう性がいまいちだし、新聞か何かの切り抜きのようだけど原典が書かれていないので「なぜそれが確かだといえるのか」というツッコミをしたくなる事案発生。たとえ内容が自分の語りたいことを裏付けるものであったとしても、確からしさがアレなものをそのまま裏付けに使ってしまうのは、道端に落ちている怪しげな宝の地図をそのまま信じて冒険旅行に出かけてしまうのと同じ。
いや、それっぽい画像だったり雑誌の切り抜きだったりテレビのキャプチャだったりすると、それが権威として発揮され、その形式自身が裏付けと同じ意味を持ってしまうのか。肩書至上主義みたいなものだな。
でもソースが書かれていなかったり、書いてあってもどこそこを参考にしました程度しかなくて、誰がそれを作ったのかが分からないと、鵜呑みにするのは危険。色々とトリックを使っていたり改ざんしていたりするからねえ。
その類の画像が一次ソース無しで貼られている場合、「どこからか拾ってきた。真偽は分からぬ」「ソースをたどられたくない」のどちらかなんだよね。前者なら話半分で、そして元ネタを探すことでソースをたどるトリガーとする程度。後者なら逆に思惑をたどれるので、興味深い実情が確認できたりする。機関紙とか電波なブログがソースだったりするってのは、結構あるパターンなんだよね。
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