朝日新聞をはじめとする新聞社の記者アカウント戦略ってそこが一番失敗なんだよな。ツイ読むと正気を疑うような異常な戯言を垂れ流しているような人物が新聞記事書いていることがバレちゃったんだから。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2019年1月21日
個々の新聞記者が公認アカウントでツイートし始める前までは、流石に信用のある大新聞の記事なんだから読者がおかしいと感じるような記事にもそれなりの裏付けや独自情報が根拠になっているのかもと思えたが、たった数年のTwitter上の発言で、単に不勉強なおばかさんだってバレちゃったんだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2019年1月21日
大新聞の記者たちが、信用の置ける専門家からどれだけ誤りを指摘されても頑として自身の誤りを認めない愚劣な姿勢を、この数年間オレたちは散々見せつけられてきたわけじゃん。こんな莫迦どもには付き合ってられないって気持ちになるのは当然だろ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2019年1月21日
こんなおばかさんたちが身勝手な独善的正義をペンの力で押し通して世の中を動かそうとしてきたんだぜ。ふざけんなよって憎まれるのは当たり前の話じゃないか。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2019年1月21日
今朝起きてみたら朝日新聞の記者が反ワクチンに関して色々とあり得ないことを述べていて、それに対するフルスロットルのツッコミが四方八方から。いつものことだけど、それで済ませるのもアレだなあということで覚え書きも兼ねて。
今件に限らないけど、ソーシャルメディアによる可視化ってのは、色々な意味での情報公開ということになり、その観点では新聞社側の立ち位置で考えると失敗したのではという結論に至る。化けの皮がはがれたというか、実情が暴露されたというか。カッコイイ舞台俳優の素顔や日常生活が乱雑で極悪で人で無しだったらどういう見方になるのか、というのと同じ。
ただ多数の経験則の限りでは、この問題的な可視化とか暴露に関して、本人や新聞社も含めた報道組織側は、むしろ誇らしい、あるべきものだと考えている筋がある。スットコで反社会的な言及でも、それは正しい、むしろもっと喧伝して浸透させるべきだという認識があるようにすら思える。ああ、あれだ。反社会的な新興宗教の信者がオルグ活動をしているようなものだ。自称正義の力を振り回す悪の組織とか、どこの喜劇だろうか。
昔は新聞はほぼ一紙しか読まなかったし、記者もどんな人か知らなかったし、なんとなく良識や常識っていうのはそういうもので、それがおかしく思えるのはこっちに良識だか常識だかが足りないせいかと素直に思ってた。でもおかしいものはおかしいと朝日批判の本なんかも読んでたけど。
— omion (@16331633) 2019年1月21日
ネットの時代になったら「おかしいよね」ってぶつぶつ言い合えるようになって、そしたら専門家や現場の人の解説が読めるようになって、それでも間違いは認めないし独善的な正義に酔っ払ってるような大新聞の記者さんの個人的つぶやきも合わせて読めるようになっちゃったんだもの、信用は落ちるよね。
— omion (@16331633) 2019年1月21日
このような状況は「最近になってから」という指摘もあるのだけど、それは多分少数の要素で、多分は「元々だったのがバレただけ」というのが正解かなというのが個人的感想。無論それを裏付ける統計やら調査は無いのだけど。
情報の質が多元的に変化して色々と精査できるようになって、しかも情報を自ら開示してくれるようになったものだから、色々と分かるようになってしまった。けれど当人たちは全然実情を理解しておらず、同じ事を繰り返す、さらにはエスカレートしていく。
裸の王様が自分の姿に気が付かないままずっと過ごしているような感じではある。
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