「弘法筆を選ばず」と言うけど...それはしっかり筆は選ぶべきという教訓だって解ってる?
— 樹崎 聖 ネコカクマク通販開始 (@saintkisaki) 2019年1月23日
上手く書けない筆で続けられると思う?繊細さのない筆から繊細さは身に付かないよ。
すでに達人なら選ばずとも凄かろうが、その域に到ってないなら、でき得る限り書きやすく上手く描ける良い筆を選ぶべきなんだよ
若い頃、最高の筆を選べと教えられ...使ってみると、繊細にも大胆にも自在に...1レベル上に描ける感触があり...
— 樹崎 聖 ネコカクマク通販開始 (@saintkisaki) 2019年1月23日
慣れると雑な筆ですらその長所を活かして描けるもんだと気付いたことがありました。
いい筆は遠回りしないですむ...上達の早道ですね!
「弘法は多数の筆を一瞥しただけでベストの一本を判別して手に取っている。それが凡人にはランダムチョイスのように見えるだけ」という意味らしい...って何かの雑学本で読んだ記憶があります。やっぱり弘法兄さんも選んでいるんだ...。
— 第四干瓢期 (@0086smart) 2019年1月24日
「弘法筆を選ばず」の言葉は一般的には「弘法大師様は素晴らしい腕前だからどんな道具でも達筆を成してしまう」って解釈だけど、むしろ「素晴らしい腕前なので無意識のうちに最良の道具を選んでしまう」という読み方もあるらしい。実際に自分で道具を使う立場にあるのなら、むしろ後者の解釈の方が望ましい。前者の立場の領域に達する人はごくわずかしかいないのだから。
つまりどういうことかというと、語られている通り、道具の良し悪しで自分の成果物の出来栄えは随分と変わってくるし、だからこそ道具はよいものを選ぼうよ、というお話。子供が使う文房具はおチープですぐに壊れて精度の悪いものじゃなく、多少高くてもしっかりとした精度の、使いやすいものを選ぼうって話が以前にあったけど、まさにそれだな。
自分は紙選びで駆け出しの頃それを痛感しました。今はデジタルなのであまりないかもですが。こんな線が引けるんだ自分も、って感動したんですよね。未熟なうちこそ道具は選んだ方がいいというのは若い頃から思ってきました。おはようございます。
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2019年1月23日
あまりにも自分の実力とかけ離れたゴージャスな道具を使うと、かえって使いきれない、振り回されるって感じで、生兵法は大けがのもとにもなりかねない。ただ、相応のよいものを選べば、自分を鍛え、足りない部分を補完し、よい仕立てをしてくれることになる。
でも自分の実力と照らし合わせ、どれが「よい道具」なのか分からないってことも多い。そういう時は同じ領域の先行者に話を聞くか、そういう人の真似をしてみるってのがいいんじゃないかな、と。
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