「死ぬまでに作りきれない」と積みプラを自虐的に語る人も多いが、私はその点は心配していない。仕事がなければかなりの速度で消化する自信があるし、何より「明日はどのキットを組もう」と思いながら死ぬのが私の夢だからだ。 pic.twitter.com/Oqxloi2Rb8
— ブラスコウ/秋友克也 (@sjxqr393) 2019年1月23日
プラモデルに限らず物理的な姿かたちがあるものを趣味としている場合、調達したのはいいけれどそれに実際には手をつけず、手を付けられず、詰んでおく状態のままで段々と山ができる傾向がある。読書が好きな人が積読状態になるってのが好例。
で、それを自虐的に語ったり真剣に悩んだりすることもあるけど、発想法の転換で悩みの種とするどころか幸せを積み増しすることができるというお話......というか、元々そういう考えも多分にあるっていうケース。
要は、すぐに手を出せる選択肢が自分の目の前にあるという状況こそがすでにハッピーであるというもの。手を出して作って完成させて愛でるのももちろん快楽ではあるけど、それを想像してすぐに手が出せるという環境そのものに幸せがあるというもの。
あれだ、骨とう品や美術品のコレクターとか、お金を金庫に締まっておくというタイプの楽しみ方と同じだな。そう考えると積み●×ってのも案外悪いものじゃない気がしてくる。まぁ、以前言及もしたけど、資料などの積みものは、仕立て屋の生地コレクションと同じで「自分の可能性を物理的に補完してくれるマジックアイテム」みたいなものだと思っているけどね。
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