研究者は今手元にある紙の本を手放しちゃだめだ。なぜなら10年に一度の頻度でも、その時参照できる状態にあることが大事。コンマリ流の尺度では測れない https://t.co/iJ3eL21Rgj
— 東大マザリナード展Web版【公式】 (@Mazarinades_jp) 2019年1月25日
米国で流行った断捨離的な片付け方法に関して、紙の本を捨てると色々と困ったことになるからどうよ、的な話が論議としておきているというお話。結局は報道メディアの問題の根源の一つである、内容が問題なのであって利用媒体は何でもいいじゃんってことではあるのだけど、電子媒体では現状の方法では色々と問題がある。
手元にPDFなどの文書ファイルが紙媒体と同じレベルで完全に残っているのなら、紙でも電子でもまったく問題は無い。だけど現在の仕組みは多分が配信側のデータの閲覧権に過ぎないので、多様な事情でいざという時に参照できない可能性が生じてくる。紙の本だって喪失や劣化で読めなくなるけど、それは多分に当人の責任の問題であり、電子媒体における配信側の事情という本人以外の責とは別物。
数年単位での蔵書とかなら別にそれでもいいし、手をつけないものは要らないよねってレベルのものならそれでいい。むしろ電子版の方が割り切りがしやすくてベターではある。読み切りの雑誌などは、電子雑誌の方が絶対いい。ああ、だから紙の雑誌の売れ行きが急降下状態なのか。
ただ、研究をしている人とか仕事で使っている人は、下手をすると10年単位での蓄積と利用が考えられる。滅多に参照しないけど、いざという時に参照できないと困る。そういう類の蔵書は、手元に無いタイプの電子書籍では、使えなくなるというリスクを背負ってしまうことになるのだよね。あるだけで保険となる、存在そのものに価値があるのって、データとか資料には結構多い。こんなこともあろうかと、という引出が多い方が、何かと都合はよい。
一番無難な選択肢は、両方の所有。紙も電子も共に。けれど、それはそれでコストがかかるし面倒くさい。当方も大掃除の中で、もう自分の精査研究領域ではなくなったものをどかどか処分して買取に投げているけど、そうでないものは極力手元に残しているからねえ。後で自分なりのデータベースを作る予定ではあったりするけど、いつになることやら。
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