ヒドイリプライは人に対して行っているとは思っていないのかも

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クソリプ、という表現はタイトルに挙げるのはあまりにもアレなので、ひどいリプライと書いた後、カタカナにしてヒドイリプライとすればニンジャスレイヤー的な雰囲気が出ていいなあ、という他愛も無いことはさておき。バズったツイートにクソリプ云々ってのは、要するにパズる、多くの人にリツイートされると多様な属性の人達に数多く認識されるので、確率論的に色々な思いを持つ、アレな人達にも接触してしまう可能性が高くなり、結果としてクソリプが付きやすくなるまでの話。

下手をするとリツイートが10ぐらいしかなくてもクソリプはつくことがある。まぁ、クソリプか否かというのはあくまでも客観的な考え方でしか無く、当人は多分に真面目なリプライのつもりなんだろうけど(中には自覚してやってる人もいる)。

で、他人に対面して直接そういうことを居る人は滅多にいないだろうなあ、という意見をクソリプ的に行う人の動向を見るに、ツイートの相手が人間であるとは考えていない、認識していないっぽいという指摘は的を射ている。単純に、本当にコンテンツに向けて罵倒したり意味不明な話をしているつもりなのか、当人に向けたいけどそれはちょっと引けを感じるのでコンテンツに向けてやっているという認識を持って自分の罪悪感を誤魔化した上でやっているのか、そこまでは分からないけど。

以前「プロ野球中継のテレビの前でビール飲んで枝豆つまみながら、監督の采配に愚痴をこぼしているおじさん」という表現をしたことがある。絶対にその声が監督本人に届くことは無いので安心して(?)罵詈雑言を履くことが出来る。居酒屋の酔っぱらいの戯言も似たようなもの。それと同じ感覚でクソリプをしていると考えれば道理は通る。

これも結局のところ、ソーシャルメディア、特にツイッターにおける距離感の喪失が引き起こした視覚化...というか特性ゆえのものではあるのだろうけどね。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月29日 07:24に書いた記事です。

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