昨今「新聞の衰退はジャーナリズムの衰退につながる」という新聞サイドからの悲鳴に対し「新聞にジャーナリズムは期待できない」という厳しい声が高まっている中、その意見を裏付けるような新聞記者や編集委員からの妄言が連打されている。敢えて自分たちの手で新聞の息の根を止めようとしているのか。
— the_spoiler (@don_jardine) 2019年1月28日
新聞記者が事実確認もせず吹き上がってツイッターで突っ込まれる風景が常態化してきたな...
— ナオサン@妖怪タングステン研ぎ (@naoshim) 2019年1月27日
こういう馬鹿な記者を使ってるから、新聞が買われなくなるんだよ。https://t.co/zZVONScnYd
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年1月24日
中の人がどれほどスットコで暴言しまくり状態だったとしても、商品がよい品質ならば商品自身への問題はさほど無い。普段から客にお説教ばかりしているラーメン屋でも、そのラーメンがすこぶる美味しいのなら、説教もまたテイストとして評価されることだってある。けれどそのラーメン屋が食品の品質偽装にかかわっていたり、衛生管理の上でたびたび業務停止命令を受けていたら、ラーメンそのものの品質が疑われるのも当然の話。
それと同じようなことが報道メディア、特に新聞界隈で生じている。ジャーナリズムという概念そのものが、それを声高に振り回す報道界隈と、一般との認識との間で格差が生じている感もあるのだけど、中の人達が次々に「自分達はこんな質ですよ」という質の暴露を成しているので、そのような人達が手掛ける商品である報道に、どれほどの価値があるのかと疑問を呈さざるを得ないのが実情。
例えば新聞記者のアカウントがあってその人が呟いた事に対して一般人がツッコミを入れて炎上する。そしてその場合どう見ても一般人の言ってる事が正しくてエビデンスもある。すると記者は謝罪も訂正もなく放置する。こんなのを山ほど見てきた。むしろなんで新聞記者が信用出来るのかさっぱり分からない
— もりちゃん(CV:毒蝮三太夫) (@mollichane) 2019年1月28日
公認されたアカウントを持つ新聞記者がスットコなことを繰り返し、それを組織レベルで咎められることも無い。その状況こそが、新聞の信用性の問題にかかわるエビデンスとなる。「記者個人の問題」との指摘もあるけれど、その状況を組織としての新聞がカバーしない限り、新聞も問題を容認しているのと変わらない。
この意見の凄いところは
— 事務課リー (@zimkalee) 2019年1月28日
①マスコミは金目当ての輩ばかりと自白している
②金目当ての社員がジャーナリズムを支えていると信じている
③いい人材を取るには良い待遇が不可欠と理解しているのに、今までマスコミは公務員の給料叩きをしていたの忘れている
いやー、この人逸材だわ。 pic.twitter.com/2Meq2EHNTj
発端となったご自分のレベルの低いツイットをサクッと棚に上げ、その後に寄せられたクソリプの話にサラッとすり替えてみせるテクニック、さすが毎日新聞の客員編集委員だけのことはあると感心しました。 pic.twitter.com/b67Huu8Ffa
— まことぴ (@makotopic) 2019年1月27日
今件もよい例ではあるけど、SNS、特にツイッターで大きく可視化されたのは、報道関係者・有識者の「見識」「資質」の実情と、その実情を自覚せずにむしろ誇らしい・素晴らしいレベルのものだと思っているらしい、絶望的な現状なんだよね。まさに王様の耳はロバの耳。
報道界隈にはまともな論理思考ができる人はごく少数になってしまったのだなぁと思わざるを得ず。公認アカウントが相次いでその実情を可視化してしまった。よいことなのか、パンドラの箱を開けてしまったのかはさておき。開けたのは報道界隈自身の方だからねえ。
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