SNSと「相手との距離」の錯誤感

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コミュ障、つまりコミュニケーション障害の略ではあるのだけど、語り言葉としてはもう少し緩やかな意味合いで、他人とのまともなやり取りが苦手だったりツラかったりする人。そういう人の特性の一つとして、指摘されているケースがある。時間の蓄積で培われた関係とか、距離的なものをまったく無視して、単に目の前にある情報だけで判断をしてしまう。

例えば駅前で集まった同窓生同士の雑談に、まったく関係の無い第三者が突然、知っているキーワードが耳に入ったからという理由だけで話に割り込んで来たら、怖さすら覚えてしまうだろう。プリキュアのネタを話題にしているからといって、自分もプリキュア好きだからと突然知らない人が首を突っ込んで来たら、怖いぞマジで。

ソーシャルメディア、特にSNSは情報のやり取りの距離感をはじめとしたハードルを思いっきり低くした、意思疎通が容易なツール。だからこそ、この違和感のあるやり取りが容易に生じてしまう。それが許される場合もあるけど(同じツイッター使いだからその辺は分かってるはずだという暗黙の了解)、毛嫌いされる話題や人の場合もある。自分が同じことをされたらどう思うか......と考えたけど、これ、そういうやらかしをする人の場合「自分はいいと思ったから相手もそう思うに違いない」と思いこんじゃってる可能性があるんだよな。


目の前で展開されている対話が、あたかも自分が主人公の舞台劇の中でのワンシーンのようで、自分がいつでも介入できるという錯覚もあるのだろう。一人用RPGの主人公みたいなポジションにいるとの誤解。ツイッターでは特に、何十年の間の知り合いも、5分前に見かけたばかりの人も、まったく相手は知らないであろう有名人も、同じ仕組みのアカウントとしてリプライを送れるから、距離感の差異を感じられないのだろうな、と。

それがメリットではあるのだけど、同時に注意点でもある。一度指摘すれば理解する人もいるはずなので、まずは注意喚起というか啓蒙が必要なのだろうとは思う。

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このページは、不破雷蔵が2019年1月29日 07:14に書いた記事です。

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