これ私の結構本気の主張なんだけど、社会的に高い地位に就くより自らの日常生活の様子を当たり前すぎる事まで気持ち悪いくらい詳細に紙媒体(石や粘土板でも可)に綴った方が確実かつ低難易度で歴史に名を残せると思うんだよな。平成時代研究の基礎史料の筆者として後世の研究者の間で超有名になれるゾ
— 乱会@建軍大業を見てください (@ransedoukoukai) 2019年1月30日
自分の記録が後々に自分を有名にさせてくれるってのが今の自分にメリットとなるかどうかはともかくとして、日々の生活の上での何気ないあれこれを記憶では無く記録として残しておくことが、とても大切だということには激しく同意。できれば定点観測的な記録が望ましい。
昔の週刊雑誌とか新聞とか日記とか写真とか、その類のは手掛けた当時は何気ないものでも、後々にじわりと価値を上げてくる。そりゃ、タイムマシンでもできれば話は別になるけどね。デジカメやスマホで写真を気軽に撮れるようになった昨今では、毎日のご飯とか街中の風景を収めておいて記録するってのもいいだろう。
骨董品屋にいくと結構な割合で「昔の日記」が売られていて
— ものの腐ごりえ (@gorie666) 2019年1月31日
人気があるのはその人の考えとかステキな物語が描かれてるもの
ではなくて
毎日の天気、その日のニュース、作って食べた料理、そのレシピ
買い物にいって買ったものの値段等
資料になりそうな内容のもの
って昔どこかで読んだな >RT
価値が出るころには自分自身の存在はすでに常世には無いのだろうけど、記録を後に残すという観点では、まさに生物が自分のDNAを後々に継続させていくという本能に近いものがあると思うのだな。無論、精査などは必要になるけど、まずは記録。これが大切。
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