イベントの場所の明記と「自分の常識が他人にとっての常識とは限らない」と

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情報発信のハードルが低いツイッターでは特に起きるお話として。あまりにも容易に情報が発信できるものだから、自分の発信情報が近所やせいぜい同じ市町村ぐらいにしか頒布されていないだろうという認識(深層部分の場合もある)で、情報の公知を行うケースが多々見られる。それ、あなたの近所の人は分かるだろうけど、それ以外の人はどこだか分からんよ、それなのに幅広いところに知って欲しいとか、どういうことよ、という感じ。無論、幅広く知ってもらう必要は無いってのなら話は別だけど。書いている人本人には常識かもしれないけど、それを知らない人だってたくさんいるし、そういう人にこそ知って欲しい情報だと思うのだよね。

例えば当方の知っている遊園地・としまえんについて、としまえんに来て欲しいと思った時に「としまえんに来てね」とだけ書いても、としまえんが東京都の練馬区にあるということを知っている人で無ければ、場所の想像はできない。埼玉県にあるかもしれないし、大阪府にあるかもしれない。

もちろん興味がばりばりある人は名前などの条件から検索して、としまえんが東京都の練馬区にあることを探し当てるけど、そこまで興味が無い人とか、検索が不得手な人は、そのステップを踏まずにさようならモードになる。せっかくきっかけを得られた人が回れ右をしてしまう、勿体ないお話。

単に町内会のお知らせ程度のものを作っている感覚なのか、分かる人だけ注目してアプローチしてくれればいいとの振り分け用のハードルなのか。真相はケースバイケースではあるけど。地域構わず目を向けてアプローチして欲しいという意図ならば、面倒ではあっても都道府県などの詳細はしっかりと書いてほしいよね。

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このページは、不破雷蔵が2019年2月 6日 07:27に書いた記事です。

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