うちの嫁なんかもよく、御飯作ってくれた時に「手抜きでごめん」みたいな事を言うんだけど、私はエンジニアなので、同じ美味しさなら手が抜いてあればあるほど工数が少なく低コストな素晴らしい仕事としか思わないのである。
— 笑うヤカン (@l_kettle) 2019年2月12日
電子レンジを使うなとか総菜は手抜きだとかレトルト系の食材を使うのは言語道断とか、昔ながらの食材を使っていちからすべて作らないと悪だという、食材原理教的な考えがあるのは事実。実のところ数年前までは、夕食の食卓に一品追加でレトルトとかスーパーで買ってきた総菜を加える行為は是か非かという話があったぐらいだから、調理の行程における手抜き......というか省力化の話は、ここ数年で一気に盛り上がって来た感はある。無論昔から、例えばピーラーで皮をむくのはどうなんだとか、スライサーは使うべからず的な話はあったけど。
で、引用元にある通り、これってエンジニアとかマクロを組んだ経験がある人なら、同じ結論が出る以上、そこに至るまでのプロセスが楽ならばそれにこしたことは無いという、合理的な結論にいたることができる。歩いても自転車で行っても電車でも飛行機でも、目的地にまで無事にたどり着けるのなら、速い方がいいよね、という感じ。無論そのプロセスを楽しみたいのなら話は別だけど、今件で求められているのは調理の楽しさではなく、完成品の良し悪しでしかない。
私も調理従事者ですので同じことを言えます
— 神崎摂那(セツナ㌠)・サンクリH03b支援参加 (@seasidesquare) 2019年2月12日
「抜いてよい手」は合理的
「抜いてはいけない手」はいいかげん
奥さまの「手ぬき」とは「時間節約」と言う団体調理にも繋がる「合理的な方法」だとも思います
手を抜いたら別のものになってしまってはみもふたもない。世の中には良い手抜きと悪い手抜きがある。厳密には二択ではなく、例えば多少品質は劣化するけど大幅に行程を節約できて、損得を考えたら手を抜いた方がいいよね、というケースも多々あるし、商品の開発や生産ではよく遭遇する判断ではあるのだけど。
「手抜き」というフレーズそのものが何だか邪悪的な雰囲気を持つのでいけないのかな。手抜き工事とかね。ならば今件のような話は、合理的調理法とでも名付けた方がいいのだろう。
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