「AだとすればBだ」という推論があったとき、そのBをもとに「BだとすればC」だと続け、いつのまにか「AもBも事実」であるかのように扱われる事例があるが、良くないと思う。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2019年2月15日
推論を二階建て以上にすることで、一階部分を「事実」であるかのように錯覚させるのがよろしくない。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2019年2月15日
恐らくは詭弁法の中にこの類の手法があって、正式な名前もついているのだろうけど、二階建てってのは言い得て妙だなということでそのまま使ってみたりする。内容としては説明の通りで、AならばBという状況下で、BならばCという結論を主張し、その際にいつの間にかAもBも確定事実であるかのように言及し、だからCも事実だ、少なくともAとBは事実であるというような語りがあったりする。
例えば推論的で何の裏付けも取られていない論文を持ち出して、それを基に考えられた推論によればこうなるから、これは正しいのだというもの。土台となる部分の確実性が曖昧なのだから、いくらそれに積み上げても実態としては信ぴょう性は崩れてしまうまでの話。
要は一次ソースの確証性を確かめずに、そこから派生する問題を云々することはリソースの浪費になるし、今件傾向を悪用して不確かなことを事実であるかのように無意識に、あるいは意図的に主張する筋は確実に存在するので注意をしようよ、というもの。
まぁ確かに面倒ではあるのだけどね。わざわざ言及のソースを精査して土台部分が正しいかどうかってのを見極めるのは。
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