「ロボットの死」の例
— tetsu (@metatetsu) 2019年3月6日
・死線を共にくぐり抜けてきた爆弾処理ロボが失敗し大破。修理不能のため廃棄すると知らされたとき兵士たちが泣いた
・ルンバ修理センターには「修理するより新型を買ったほうが安くて高性能ですよ」と案内しても「いや親しみがあるからなんとか修理してくれ」という人が来る pic.twitter.com/lnYsu46RDT
『ロボットは死なないはずだった。しかし企業の提供するアフターサービスなんて四半世紀持てば良いほうだ』
— tetsu (@metatetsu) 2019年3月6日
これから登場するであろう賢いロボットはまるで家族のように親しみを持て、一生共に過ごしたいと考えるだろう。しかし「修理サービス終了によりAIBOに死が訪れた」の例がすでに発生している
ロボットの機械的故障の修理はもしかしたら代替部品が作られたり、古時計修理業のような専門家に頼ることで希望がある。
— tetsu (@metatetsu) 2019年3月6日
しかし最近のロボットの会話AIはローカル処理ではなくサーバー頼り。
「利用者減で採算が取れなくなったので終了します」なんてWebサービスでは日常的だ >ロボットの死
繰り返すが「ロボットは死なない。でも企業は採算が取れなくなればすぐにサービス終了する」はこれからまるで人のように愛される家庭用ロボット、パートナーAIにおいて深く考えなければならない。
— tetsu (@metatetsu) 2019年3月6日
一昔前の漫画などでは、人間は寿命が来れば亡くなってしまうけどロボットはそのままずっと生きながらえているって描写が多分にあったけど、少なくとも現在とそこから見える範囲での未来においてはそんなことは無く、ロボットも生物とは異なる概念での寿命というか死が存在することが明らかになっている。単なる無機質の機能集合体な造形物としてのロボットですら、その死に直面すると人は悲しみを覚えてしまう。
ましてや疑似人格を持つようになった、少なくとも利用者側はそのように認識しているAI機能付きのものが、同じように何らかの理由で死を迎えることになったらどうなるのだろう。ペットロスや親族ロス的なものと同じ悲しみを、人は受けることになるのかもしれない。
これってちょっと方向性は異なるかもしれないけど、アプリゲームのサービス終了とかも同じ事。注力してきたゲームがサービスを終了してしまうと、ぽっかりと心に穴が開いてしまう。自分の分身のキャラが生活していた世界が幕を閉じてしまい、その鱗片すら見いだせなくなってしまう。
もっともこの類の話になると、そもそもとして死とは何ぞや、生命とはなんぞや、という概念論、哲学論になってしまう。岡崎二郎先生の作品にはその辺りの話が結構出てきて、共感するところも多いのだけど。
ロボットの死を解決する方法としては、自己診断・自己修復機能を持つロボットの開発ってのがあるのだよね。これならサービス運用会社が手放しても、起動し続けることになる。しかしそれは人の手による新たな生命が生み出されることを意味するのであった、的な感もあり、興味深い。
ゲームに限っても、昔のスタンドアローンなROMカートリッジのが今なお稼働状態にある一方で、オンラインゲームはサービスが終了したら記録をたどることすら難しくなっているってのとも似てるかな、と。
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