この世の終わりエンターテイメントっていうのがあると思っていて、それこそノストラダムスとかウケちゃった理由だと思うんだけど、その中に財政破綻でヒャッハーの恐怖みたいのも入っていて、ある種のひとはエンターテイメントとしての財政破綻恐怖を消費している
— chietherabbit (@chietherabbit) 2019年3月10日
知人で日本は財政破綻になると信じてるひとがいるんだけど、この世の終わりみたいな話をするときってほんと楽しそうなんだよね。ああこのひとにとっては財政破綻はエンターテイメントで、これを奪ったらこのひとの人生の楽しみが減るのか... ってわかってから経済の話してない
— chietherabbit (@chietherabbit) 2019年3月10日
実際にどれほどいるのかは統計の取り様が無いし、調査をしたところでまともに答えてくれる人はいないのだろうけど、確かに多分にありえる話だし、信じ込んでいる人の反応の少なからずはこの考え方だと容易に説明できるようなものだったりする。
要は前世紀末に流行ったノストラダムスの大予言とか、核戦争による地球滅亡とか、MMR的なもの。まったくゼロでは無い恐怖の中に埋もれて、その続々感を体感したり、他人に布教して自分の相対的な立ち位置の高まりを堪能するというもの。そこまで深読みしなくても、単なるエンタメ的な楽しみとしてのポジションかもしれない。
北斗の拳の世界に疑似体験できるヒャッハーランドみたいなところで、入って数分後に雑魚のヒャッハーにタコ殴りにあってゲームオーバーになる人生を期待している。無論、そういうことは現実には無いだろうという確証も持ちながら。
でもね、これって悪質な新興宗教とどれほどの違いがあるのだろうか。本人は冗談だよと思っていても、聞き手はそうじゃないこともある。真面目な会議の際にジョークを混ぜていいのはコメディでの場面だけ。普段から冗談ばかり話して真面目にやり取りをしないような人は、じきに真面目などころかまともな話もしてもらえなくなる。話の中の冗談とマジ話との境目が曖昧になると、すべてを冗談として認識せざるを得なくなり、まともな話は出来ない人判定をされてしまう。
まぁ、エンタメとして楽しむのはそれで構わないのだけど、それが許される場で、明記した上で楽しんでほしいものだけどね。
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