世の中には正解がない問題があるんだということを知っていることは大事。
— 村松 謙 (@kmuramatsu) 2019年3月16日
そうでないと、答えを知っているというひとに盲従するようになる?
解の無い問題がある、というか問題があること自体が正解だったり、解を探すためのあれこれをすることが問題の存在意義だったりするってことは、実は結構あったりする。実在しない虚像をあるかのように見せかけて信奉させたり想像させたりするってのがよい例。この方法論は上手く使えば人の発展や成長に役立てることができるけど、悪用されると指摘されているように盲従を引き起こすことになる。正解があるのなら知りたいってのは本性ではあるからね。
だから世の中には正解がない問題もあるってことを知っておくってのはとても大切。
ただ同時に、「世の中には正解が複数ある問題もあるんだ」ってことでもある。一つの正解のみを提示され、それに盲信しようとせずに、他にも解があるのかも、と疑うことも大切。さらに時間の経過とともに正解が変わっていくなんてこともある。数理的なことでも法則やら方程式が変化するってことが皆無ってわけでは無いからねえ。
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