よく混同されるが、「この世界はどういう仕組みの世界か」を解説するのは「世界設定」。
— 芹沢文書 (@DocSeri) 2019年3月16日
「人が世界をどのようなところだと観ているか」が「世界観」。
現実世界には「世界設定」はないが、現世の人には「世界観」がある。
異世界には「世界設定」があり、その住人それぞれに「世界観」がある。
たとえば「人は死んだら天国か地獄に行く」とか、「この世こそが地獄で、死んだら何度も生まれ変わっては徳を積み上げ、解脱して極楽を目指す」とか、そういうのが「世界観」。どう考えるかの問題であって、そのことが世界そのものを変化させるわけではない。
— 芹沢文書 (@DocSeri) 2019年3月16日
何気によく使うのは世界観で世界設計という言い回しはあまり積極的には使わない。けれど、厳密にはこの両者にはこういう違いがあり、その違いを知っておくことが創作でも役立つよ、という話。
具体例が挙げられているのでよく分かるのだけど、世界の理そのものは世界設計。設定好きな当方としては色々と脳内でどういうものかをこねくり回したりする、世界の構造そのもの。これがしっかりしていないと、創作の中身もぐだぐだなものになる。
一方で世界観は人が持つ世界設定への思い、考え方、認識。例で挙げられている地獄とか徳の概念も、確定した法則であれば世界設計となるし、そういう世界の理としての物語なら世界設計となるけど、一人一人が考えているものに留まるのなら、世界観でしかない。
まぁ、例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」では主人公のハルヒが考えた世界観が、そのまま世界設計になっちゃうよね、というお話。この辺って結構ごちゃごちゃになりやすいので、注意をしたいところではあるし、それを上手く使えば面白い創作ができるかもしれないよ、という話ではある。
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