何度でも言うが、「記者は国民の代表」というのは「一般国民が入れない場所で、普通は会えない人に直接取材できるという立場を、自分個人のためではなく国民のために使え」という滅私の心得を言っているのであって、国民に成り代わって自分が権利を行使できるという意味ではないのだ。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2019年3月20日
何度か解説している「記者は国民の代表」云々の話。何も担保するものは無いし法で定められたものでも無いし、選挙なりの手段で選ばれたものでも無い。私企業の従業員やらフリーランスの人以上のものは無く、単なる自称でしかない。過去において云々、歴史的背景かんぬんとドヤる筋もあるけど、その部分を精査すると自爆するよ、というツッコミを悪魔の実在を信じたくなるような、ゆがんだ微笑で返しつつ。
もう一つの「記者は国民の代表」の意味ってのが、今回の引用のお話。要は他人に強要できるような権利を意味するのではなく、そういうお題目の下に記者自身が理念として持ち行動しなければならないという、心得のことを意味する。自称すれば権利が得られるようなものでは無い。
これって要は、以前でも触れた「お客様は神様です」と同じ。お客側から「自分は神様だから敬え」とドヤってるのと同じ状態なんだよね、今の記者による「記者は国民の代表」って主張は。
ただし。かの「記者は国民の代表」を主張する人達はそもそも論として、反社的な理念が根本にあり、それを「国民のため」と確信しての活動家であることを考えると、色々と複雑なことになる。つまり、かの人達自身は本当に自分個人のためではなく国民のためにとの思惑の下、行動を成し、滅私の心構えで行動していると信じ込んでいるのかもしれない。
何を冗談話をと思うかもしれないけど。「私達記者は正義、がんばる」のことを思い返すと、あながち否定も出来ないのだよね。
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