(・w・;)価値が分かるところに行ってもらう方がマシなのです。
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2019年3月20日
貴重な代物がごみにされるくらいなら転売されて分かる側の手元にある方が幸せというもの。価値を金で換算するのはその辺りが救いですし、それとみて素人でも価値が理解できるものの方がマシな場合もあります(私の場合の金製品とか
海外のある骨董品コレクターさんが「私はこの絵の"真の所有者"ではなく、現在に於ける仮の管理者に過ぎない。私が死んだら、別の管理者の所に行くだけ。その繰り返しさHAHAHA」的な事を言ってたのを思い出しました。正に「文化」だなあと思ったのを記憶してます。 https://t.co/QdB6IllVho
— 千手院 (@senjuin1010) 2019年3月20日
これは当方が昨年夏ぐらいから絶賛進行中のダイナミック大掃除の中でも強く感じていること。自分のコレクションとか仕事の上での資料の整理の中で、以前はそのまま廃棄してしまっていたことを強く後悔するようになったのも、この考えに至ったからというもの。自分が使いこなせない、使わないだろうというものでも、他人の手に渡ることで有益に利用されることになる。
その際に、単純に譲渡する場合は相手の目利きがあるかどうかを見極める必要があるけど、買取業者に任せれば金額をつけてくれる。金額がつくってのは、それだけの価値があり、他人に販売できるとの評価をしたということ。だから買取業者でもゼロ円査定を繰り返ししたり、ざっくりと廃棄してしまうようなところには、二度とお願いしないようにしている。
(・w・;)価値が分かるところに行ってもらう方がマシなのです。
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2019年3月20日
貴重な代物がごみにされるくらいなら転売されて分かる側の手元にある方が幸せというもの。価値を金で換算するのはその辺りが救いですし、それとみて素人でも価値が理解できるものの方がマシな場合もあります(私の場合の金製品とか
そうして継承されていった方が幸せというもの。 なので、そのものの価値を表す基準としての金銭価値は大事だなぁと(高価なものならば捨てずに売って誰かの元に行けますし。価値の分からない方が壊してしまうリスクも減ります。捨てられて失われてしまうことも少ないでしょう
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2019年3月20日
モノの寿命は有限だけど、それでも人よりは長いってものもあるし、モノが形を成している間に死蔵されてしまうのはもったいない。自分の手持ちのモノがそうなっているのなら、手放してもっと有効に活用してくれる人の手元に渡った方がよい。それを後押ししてくれるのが価値評価であり、価格に他ならないんだよね。
コメントする