この指摘は中々に鋭いと思う。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
過去の異世界は『可逆的』つまり旅行先でいつか現実に戻るファンタジーだったのに対し、今の異世界は転生であり『不可逆』つまりは現実には戻らない入植先としてのファンタジーなのでしょうね。
これ、多分論文書けそうなテーマだなあ。 https://t.co/ooId3kaYY7
今でこそラノベとかなろう系とかいう表現で当たり前の話になった異世界物の作品。自分が生活している世界・時系列とは別の世界に足を運ぶっていう物語の設定は実のところそれほど珍しいものでは無かったりする。ただ、指摘されている通り、昨今の異世界物は確率的に転生で不可逆的なものの割合が多い傾向がある。統計......は商業誌に限っても難しい話だろうから、あくまでも印象の上でのことではあるけど。
つまり昔の異世界物は旅行的な感覚で、今の異世界物は引っ越しみたいなもの。今やネタ的になっている、トラックにはね飛ばされて転生ってのも、結局は当人の死のトリガーとしてトラックが使われているだけの話だからねえ。まぁ、死はある意味絶望だから、絶望の先に望みがあるという見せ方をして、魅惑を加味しているという考え方もあるけど(極楽浄土的な宗教観とも似ているって話は以前もした通り)。
多分これ『今は現実がクソだから未練なんかないぜ』なんて単純な話じゃなくて、むしろ『ファンタジーが価値を持ち、現実を捨てでも惜しくはないほどのリアリティを持ち始めた』って事なんだと思う。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
もっと言えば『虚構』と『現実』に価値的な差異がなくなってきたというか。
恐らくこれは、なぜ今そうなったかと考えるより、むしろ何故昔は戻る必要があったか、の視点で考えた方がいい気がする。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
浦島太郎もワタルもラムネも最後には現実に戻ってきた訳ですが、今的な視点で考えると戻る理由が余りに薄いとすら感じる。
その世界にそのままいれば、間違いなく幸せなのに。
つまり以前は『ファンタジーの世界はあくまで夢の世界なんだからいつかは目覚めないといけない』という、文字通りに『現実』と『虚構』には明確な価値観の断絶があったんじゃないかと思う。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
どれだけ『そちら』の国で価値があっても、『こちら』の国でははした金にもならないぜ、的な。
多分前は『そちら』と『あちら』レートが物凄く悪かったんですよ。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
『わざわざ後進国で一生懸命に一日働いても、日本円で1000円にもならないぜ』的な話。
だから浦島太郎は老人になってでも戻ってくる必要があった。
んで今現在は、多分良い両替屋がいるんだと思うんですよね。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2019年3月20日
ちゃんと『あちら』と『こちら』価値観を良レートで両替してくる。
だから異世界で入植して、戻ってくる必要が無くなった。
つらつらと続けましたが、多分大きくは間違ってないと思う。
他方、一方通行化が多数派っぽい今の異世界物の状況に対するこの分析は面白い。リアリティが出てきたので、わざわざ戻る必要なんてないんじゃないかと主人公やら読者やらが思うようになったというもの。映画「マトリックス」で赤と青のどちらの薬を飲むかっていう問題なわけだ。
...となると、仮に昔の異世界物を今の風潮で書きなおすと、最後には戻らなくてもいいやっていう形に改変してもあまり違和感を覚えないようになるのかな、ということも思ってみたりする。
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