「ガラパゴス化した珍獣の楽園、国際競争で勝てない」ってマーケティング論として完全に間違ってるわ。男性向け女性向け特化、エロ特化、子供向け、ジブリや新海作品みたいな全世界向け、みんなバラバラで多様性に富んでいるから層が厚くて国際競争力があるんだよ。
— 水戸泉・4月17日ティアラ文庫禁断童話アンソロジー発売 (@mittochi) 2019年3月28日
世界基準と同じにする、したい、ってのは日本独自の価値がなくなるってことでもある。自分たちを高く売るために(突き抜けすぎると総出で潰されるし)、どの辺りの立ち位置にいるべきかってのは常に考えなきゃならんところですよ。
— 有馬啓太郎 (@aryiaman) 2019年3月29日
まずはじめに、当方はガラパゴス化というフレーズそのものがあまり好きではない。昔のスタイルの携帯電話をガラケーでは無く従来型携帯電話と書き記しているのもそれが原因。名付けた人はドヤったしたり顔をしているのだろうけど、多分に自嘲というか卑下している感じで、なんかイヤ。
で、指摘されている通り、世界共通的なフォーマットにしないとダメだ、国際競争で勝てないというナタを振り回してくるのは、よくよく見ておかないと逆にもっとダメになってしまいかねない。汎用化っていうかコモディティ化というか、そういう方向性にかじ取りをするってのは、自分の独自性を無くすことではある。
それって要は多様性の否定でもあるのだけど、それでいいのかね、という感も強いわな。
だからそもそも海外で配信することを目指してない作品のほうが多いんだよ日本は。最初から海外(なぜか白人キリスト教圏限定)のコードに合わせて作るのめんどくさいから!目指したい人は自由に目指せばいいが、出羽守(なぜか白人キリスト教圏限定)に絡まれるのほんと鬱陶しいって話をしてんだよ。 https://t.co/iN0iUGolJd
— 水戸泉・4月17日ティアラ文庫禁断童話アンソロジー発売 (@mittochi) 2019年3月30日
>RT
— かわみなみ (@kawami_nami) 2019年3月30日
そう。最初から海外ウケを狙わなくともいいものは評価されるよ。「僕だけがいない街」はアニメも名作だったので海外での評価も高かった。そういうことがまた積み重なっていくよ。海外ウケを狙って大枠だけ広げようと見せても結局人の心に届くのは作品の内容とその質なのだから。
TLを見ていると何やら日本のアニメがガラパゴスだ云々と喚いている人がいるみたいだが、ハリウッドアニメと真正面から闘うと、彼らのポリコレに合わせざるを得なくなり、キャラの人種構成や言動に配慮したりせにゃならんのだぜ?そんなのワザワザみたいか?
— 事務課リー (@zimkalee) 2019年3月30日
ガラパゴス云々、世界共通云々ってのは概して西洋の一方面の話が基準である的なお話となってくるのだけど。その基準に合わせると自分達の創作が何の意味も無くなってしまう。市場規模的に汎用化を望まねばいけない状況ならばその方向に向けた施策をとらなきゃならないけど、そうでない限りはわざわざ意図的に全世界に向けたものという前提であれこれ考える必要は無いんじゃないかな。
世界基準? ではどの辺りが基準なのかな。それってごく一部の国々の、ごく一部の思考方向性に従うって意味ではないかな。どれを採用して、どれを不採用とするかの判断は誰が行って、誰がその正当性を担保するのかな。
...まぁ、今流行りのリベラリズムやポリコレ棒話でもよく使われている手法である。「世界基準だから」ってフレーズは、その語り手の中の世界である場合も多々あるし、ね。
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