「人が話してるときは黙る能力」「話したそうな人がいたら譲る能力」が身についている人って貴重なんだよね。これが出来ると、打ち合わせが回る回る。
— hidaka (@hidaka3) 2019年3月27日
討論テレビ番組なんかで、人の話を遮って我を通すのを是として放送しちゃってるからか、それが会議や討論では正解と思ってる人が結構多い印象。
対談などだと多く話して自分の思いを連ねた方が勝ち的な印象があるので、とにかく相手よりも多く語りたくなるというもの...というかそういう人は多い。それこそが交渉術だ、相手に考えさせる、語らせるすきを与えるな、なんていう話もあるぐらい。ある意味、その場でのやり取りとしては正解なのかもしれないけど、それが過ぎると独断場となってしまうし、相手は当然良い顔をせず、対談などの意味が無くなる。あんた一人でしゃべる場所を作ってしゃべってたら? ということ。
指摘されている通り、テレビなどでそういうスタイルが正しいかのような伝え方を繰り返ししているので、その方法論が正当化されてしまう。それがいいか否かはケースバイケースではあるけど、少なくとも対談の意味がどれほどあるのかってことにはなるし、相手からは拒否反応が生じてしまう。それは中長期的に見てプラスとなるのかどうか。押しが強いのも度を過ぎると、単なるワガママでしかない。思惑とは裏腹に議事進行も滞りがちとなる。
人が話している時に、話始めるやつ嫌いだわ。
— のこおちょんどよ (@nokotyonndoyo) 2019年3月28日
それに日本語は、SVOの英語と違って、SOVの言語であり、
一番大事なVが最後に来るから、最後まで話を聞いてほしい。
特に人の語りの途中でさえぎって自分の語りを始めるような人は、好き嫌い以前の問題で、相手を尊重しないことの表れとなる。単なる喧嘩だわな。討論ってあるけど、討論ですらないような状態がテレビで行われてるから、みんな真似をしてしまう。
ただ、日本語の構造としてSOVだからってのは初めて気が付いた。確かにその通りで、最後まで聞けよ、という話の理解しやすい説明になるし、英語圏でのような「討論」が日本には向かないという理由づけにもなるわな。
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