「パンを食べても死にません」とか、「言語療法で子どもを自閉症にすることはできません」とか、「テレビや音楽を聴いても発達障害になりません」とか「小麦と牛乳を避けても自閉症は治りません」とか、最近はなんかこう、そりゃそうだろとしか言えないような、当たり前のことばかり言ってる気がする。
— Y (@y_psychologist) 2019年4月8日
指摘されれば当たり前の話ばかりではあるのだけど、このような愚痴的な話が出てくるということは、それを繰り返し語らねばならないような状況、つまりその当たり前を信じない、むしろ反発する声が少なからずあり、それを目に留める機会が多々あると読むことが出来る。まぁ、怪しげな商法は山ほどあるし、本屋の健康系のコーナーを見ると首を傾げまくりでエグザイル状態になるような題名の本がずらりと並んでいるからねえ。
また、世間一般に公知されている、誰もが知っている常識というのは、それだからこそ、相応の権威があるような肩書を持っている人とか、複数の同意をする人の語りと共に、それを否定するような話があると、「みんなが鵜呑みにしているけど、真実はこうだったのか。気付かさせてくれた」と騙されてしまうことがある。自分が少数のエリートだった、真相を知る者となったという優越感も得られるので、転じてしまいがちなんだよな。
前世紀に流行った「なんだってー!?」の漫画は、そのロジックを巧みに使ったもの。まぁあれはギャグ的なものだという割り切りでやってるのだろうけど、それでもあれを本当に信じてしまった人は少なからずいる。いまだに何か事件があると世界支配層の陰謀だと主張する芸人専門家とかもよい例ではあ。
それがギャグとかノリとかコント的なものであると自他ともに認識しているのならばそれでもいい。百歩譲って個人の思惑の中だけでも思想の自由だから別にいい。けどそれを騙す事を目的に第三者に広め、実害を与えるような行為を事実上強要させるってのはどうなんだろう。個人的には罪悪でしかないと考えてしまう。1日10リットル水を飲んで健康になろうとかいう話をして、それを信じてしまう人がいたらどうするのか。こういう問題とさほど変わりは無いのだな。
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