「フリーランスには一日3万円くらい払うべき」という発言を批判する人は、フリーランスが常に仕事にありつけてるとは限らないし、例え仕事をやっててもそれが金にならないときが年中ある(立てた企画がボツになるとか)ということを知らない幸せなサラリーマンさんだと思うね。
— 牧山昌弘 (@crossbow256) 2019年4月4日
「10日で俺の手取り超えるw 月5日働けば暮らせるじゃん」と言われることがあります。個人経営の整体、美容室、各種レッスンを利用したとき、1時間あたりの請求額は6千円ほどになるはず。では、日収4万8千、月収100万という暮らしぶりの整体師さん、美容師さん、講師さんは身の回りにいるでしょうか。
— 葛葉 (@Cuznoha) 2019年4月9日
フリーな人に企業就業者が仕事を依頼する時に、就業者は仕事がパスされても時間に遅れても、従事時間に応じてちゃんとお給金が支払われるけど、フリーはそういうわけにはいかないって話は何度となくしている。スケジュールを決められるとその間は何もできず、直前になってやっぱやーめたと企業側から言われると、事実上タダ働きをしたことになってしまう。まぁ、就業者でもあまり空振り三振を続けているとペナルティを受けるけどね。
ただ、フリーランスの場合、よほど多忙な人、そういう就業スタイルのカテゴリの人でない限り、24時間働きづめとか1か月で就業・対価確保ができる日が20日あるとかいうわけじゃない。野球だったら出来高制のピンチヒッター的なもので、常にお金がもらえる仕事を得られているわけじゃないし、さらには仕事をしてもそれが直接対価には結びつかないこともある。
そういう状態だからこそ、そのような人にお願いをしなきゃならないような仕事の場合、相応の対価を提供する必要がある。そのポジションにある人を維持するための維持費用的なものも多分にあるからだ。まぁ、仕事人とか渡りの職人への依頼料的なものとか、「王様の仕立て屋」の織部氏による特急料金みたいなものをイメージすると分かり易いだろうか。
フリーランスのお仕事は得てして、その活動時間のみで測られると頭を抱えてしまうものがある。日頃の修練や経験、練習や勉強などで技術の維持発展に努め、その成果を見出すのがお仕事であり、結果の披露の場だったりする。その部分だけを見て、その時間割り的で安価な対価を計算するのでは、誰も暮らしていけなくなる。100メートル走の選手とかどうなるのだろう。10秒ぐらいしか走っていないから時給換算で数十円とかいうつもりなのだろうか。
まぁ、仮に、その価格でも容易に応じて繰り返しこなしてくれる人がいるような需給バランスならばそれでもいいかもしれないけど、次第にその界隈は該当する仕事をする人がいなくなるか、質が劣化してしまい期待したものが得られなくなる。実のところ今の労働市場における人手不足もまた、これに近い構図なのだな。
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