「何も知らなくても、思考できれば良いんでしょう」という人が結構居ますが、これ間違い。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月7日
『自分が何を知らないかを認識し、知らない部分に変に屁理屈こねず処理できる能力がないのは、思考できているとは言いません』。
無知であることを自覚できる程度には物を知ってないと、考えようもないよ。
一旦習ったら忘れて良い、あとで必要に迫られたら調べなおせ、てのは『ここが解ってないぞ』を発見できれば穴埋めが可能だからですな。
— KGN (@KGN_works) 2018年3月7日
記憶の底に「ん~、なんかあったような気がする...」という何かがこびり付いてれば、『解ってないものがある』に気が付きやすい。
ゼロから始めるとけっこう大変。
受験勉強とか義務教育とか果ては三角関数とか必要無いじゃん、自分の今の生活で使って無いじゃんという話に関して、別の視点からの必要あるよね、という考え方。その時点では必要が無い、その人はたまたま必要が無かった、あるいは必要がある状況があったにもかかわらず気が付かなかっただけ、色々な可能性があるけど、「必要がない」って話自身が本当なのかどうかすら怪しかったりする。
そして各知識が必要な時って、その時点で丸ごと覚えていれば最強なんだけど、そうで無くてもとっかかりというかフックの部分というかトリガー部分だけでも覚えておけば、そこを頼りにするすると再構築をすることができる。骨組みだけでも手元にあれば、それを基に肉付けする事は容易だよ、というもの。プラモデルなら説明書が残っているって感じ。
まったくのゼロから始めるのと、概念とか予備知識とか構造を見知っているのとではまったく次元が違う。500メートル走で始めから100メートルぐらいのハンディがあるだけでなく、適切な靴を履いて正しい短距離走のフォームを知っているようなもの。
雑学的なものとか基礎学習ってのは、骨組みとか本質部分を引き出すフック、引き出しの取っ手とラベルを作るようなものなのだな。もちろんずっと仕舞いっ放しのままって可能性もあるけどね。
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