モノクロ写真(白黒)をニューラルネットワークで色付けしたというカラー写真をよく見かけるけれど、モノクロのままでいいと思う。無理な色付けでデタラメな色になっていることもよくある。
— 露本伊佐男 Isao Tsuyumoto (@tsuyu2011) 2019年3月10日
最近新しい技術でモノクロ写真に自動着色をしていくというのがトレンドになっている。これまで白黒でしか見たことが無かった世界に色付けがされていくと、当時の人にはこんな風に見えていたのか、かつてはこんな世界が広がっていたのかと驚きを覚えさせる。
けれど。指摘されている通り、その着色が本当に正しいものかってのはよく考える必要がある。これから色塗りをするつもりの絵に今技術を使ってみたりとか、創作の絵に色づかせてみるというのならいいのだけど、実在した情景などに自動着色をした場合、その色が本当なのかどうかってのは大きな問題となる。極端な例として、恐竜にこの技術で色を塗った場合、「こういう色だったのかもね」との考えの材料にするのはいいけれど、その色が絶対無比の正解であると認識するのは問題だよ、と。
ホントの色、ホントの被写体に対する情報がなければ、どうしても間違った色になってしまう。写真は「真」を写すものではないとはよく言われるが、写真はまことしやかに嘘をつくことが往々にしてあって、白黒写真の色塗りはさらにそれを助長する。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2019年3月10日
「色」に対する鈍感さのなせるわざかな、とも思ったりする。色材に関してちょっとでも理解があれば、衣類を「藍」に塗るのか「紫」に塗るのかは、まったく意味が違うことなんだが、ただの波長特性のシグナルぐらいにしか考えてないと、それに気づかない。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2019年3月10日
そういう点では、人工彩色がいかに難しいかが現れている、とも言える。手彩色のかつての図鑑版画は、膨大な資料をもとに塗っていた。一部の白黒写真の手彩色職人もそうしているのは素晴らしいことだと思う。でも、「ニューラルネットワーク」は、その手間を回避する口実と隠れ蓑になってる感がある。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2019年3月10日
それを盾に、世に出てきたデタラメを見せられるのは、気持ちのいいものではない。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2019年3月10日
「写真で嘘をつかないために」「撮影者の撮影技法を尊重して」白黒写真は白黒写真のままにしておく、これは意味のあることだと思う。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2019年3月10日
着色されたものが欲しいという目的のために、その過程が蔑ろにされてしまう。今の技術では最良の結果かもしれないけど、その結果が確かなものであるかという裏付けは無い。可能性の高いものではあるけど確かなものとは言い難い対象を、現実と同じであると評されるのは、確かに気分のよいお話ではないに違いない。
まぁ、作り手そのものは「この色付けが絶対無比の本物と同一である」とはさらさら思っていないだろうから、受け手が惑わされないようにしなきゃね、ということなのだろうな。
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