「量を考えろと言っている」
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
これはもう、うんざりするくらい繰り返し言わないとわからない人もいるからね。
もっとも、たいていの人は付き合っちゃあくれません。
「ああ、そうですか」と放置して見捨てます(私も時々やる、教える手間かける価値がないと思えばそれが一番楽だから)
「どこら辺が分かってない人なのか」すら、他人は考えてくれません。
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
その義理がないからです。
「話が通じない人」としか思われず、見捨てられます。
「分量の話だよ」と言われてる間に、考える努力はしたほうがいい。
まあSNSの場合は「話しても聞いちゃいねえなあ」と思っても「黙って見ている第三者のために」説明することも多々あるけどね。
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
屁理屈こねて逃げ回る習慣が身に沁みついちゃった相手のためじゃあない。
屁理屈こね始めたら「あ~考えることから逃げてんな~」としか思わんよ、はっきり言って。
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
まあぶっちゃけると「私は違うこと言ってるんだけどね」とコピペ回答しておけば済むことって結構あるからねえ...
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
屁理屈こねてる相手との1対1だけの問題であれば、こういう回答が一番安上がり。
なにしろ、相手に付き合う義理がないんですから。
「あっそ」でほかすか、いっそ無視するのが一番。
「うわめんどくせぇ...」と思う相手に絡まれたら、さっさとブロックなりミューとなりすると良いですよ、と時々書いてるのはこの辺の理由があるからですね。
— KGN (@KGN_works) 2019年4月25日
相手にしてやってもメリット全然ないし(面白味すらない)、手間がかかるばっかりなんで、割に合わない結果になることも多いんじゃないかな。
ソーシャルメディアは意思疎通のハードルに関して、時間も距離も立場も取っ払ってアプローチできるのが最大の特徴でありメリットである。けれどそれは、見も知らずの人に十年来の親友のように声をかけていいという意味でも、何か思ったことを突然ぶつけて返事が来るのが確実となるようなものを意味するものでは無い。突然街中で見知らぬ人に声をかけられて、その人の質問に付き合う必要がどこにあるのか。人の善意を強要してはいけない。
特にツイッターでは発言が容易にできるので、自分以外のすべての人が自分の問いに大人しく答えてくれると誤解してしまうところがある。実際には他人が打ち込んだ文章でもテキスト化されてしまうと、機械による返答とかと同じじゃんという誤認をしてしまい、Siriとかスマートスピーカのようなリアクションがあるという期待。
なぜ教えてくれないの、なぜ答えてくれないの。私はあなたの専属教師でも顧問弁護士でもありません。...というか、要は人にものを尋ねる姿勢をまずは覚えましょうというところではある。
同時に、そういう話を受けてしまった側の立場からすれば、世の中には考え方の軸がぶれている人、日本語は分かるけど理解が難しい人ってのがいる。そういう人の問いやら喧嘩ごしっぽいアプローチの場合、例えまともな話で返しても、その言葉自身を理解できないのだから、返事をするだけ無駄ということになる。英語のみ話せる人に日本語で返事をしても分かってもらえないよね、それと同じ。
時間に余裕があってレクリエーション的に楽しんでみるとか、やり取りを意図的に披露して当人じゃなくそれを見ている周囲の人に周知してもらう目的で説明するっていう考え方もあるけどね。大抵はリソースの無駄になる。
まぁ、時間は有限だし、効率の悪いことを意図的にするのもどうかと思うので、危ない雰囲気を感じたら素直にミュートが一番無難な選択肢なのだろうな。
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