知らない相手に付き合う義理は無い

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ソーシャルメディアは意思疎通のハードルに関して、時間も距離も立場も取っ払ってアプローチできるのが最大の特徴でありメリットである。けれどそれは、見も知らずの人に十年来の親友のように声をかけていいという意味でも、何か思ったことを突然ぶつけて返事が来るのが確実となるようなものを意味するものでは無い。突然街中で見知らぬ人に声をかけられて、その人の質問に付き合う必要がどこにあるのか。人の善意を強要してはいけない。

特にツイッターでは発言が容易にできるので、自分以外のすべての人が自分の問いに大人しく答えてくれると誤解してしまうところがある。実際には他人が打ち込んだ文章でもテキスト化されてしまうと、機械による返答とかと同じじゃんという誤認をしてしまい、Siriとかスマートスピーカのようなリアクションがあるという期待。

なぜ教えてくれないの、なぜ答えてくれないの。私はあなたの専属教師でも顧問弁護士でもありません。...というか、要は人にものを尋ねる姿勢をまずは覚えましょうというところではある。

同時に、そういう話を受けてしまった側の立場からすれば、世の中には考え方の軸がぶれている人、日本語は分かるけど理解が難しい人ってのがいる。そういう人の問いやら喧嘩ごしっぽいアプローチの場合、例えまともな話で返しても、その言葉自身を理解できないのだから、返事をするだけ無駄ということになる。英語のみ話せる人に日本語で返事をしても分かってもらえないよね、それと同じ。

時間に余裕があってレクリエーション的に楽しんでみるとか、やり取りを意図的に披露して当人じゃなくそれを見ている周囲の人に周知してもらう目的で説明するっていう考え方もあるけどね。大抵はリソースの無駄になる。

まぁ、時間は有限だし、効率の悪いことを意図的にするのもどうかと思うので、危ない雰囲気を感じたら素直にミュートが一番無難な選択肢なのだろうな。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2019年4月27日 07:28に書いた記事です。

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