公的機関は基本的に儲からないけど社会全体に役立つ仕事をするもの

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ここ一両日、どこぞの自治体の長が図書館的なものを公金を出さずに寄附金で運用開始をしたぞ、スゴイだろうというドヤ顔語りをしたところ、当然の如くフルスロットルでツッコミを受けているのを見ての感想というか概念の覚書。

公的機関ってのは基本的に、私的機関が運用しても利益が出ない、つまり私的機関の運用継続が難しいもの、けれど社会全体にとっては有意義なものを作り運用し続けていくために存在する。

というか逆で、そういうものを皆でまかなうための存在こそが公的機関だったりする。インフラとか警察機構とか国防力とか社会保険とかが好例。文化教育の仕組みもそれだったりする。単純にその機構の運用で利益が出るのなら、そして公共の利益に大きな影響をおよぼさないのであれば、私的機関に投げてしまう方がいいからね。

この辺りがするりと出てこないってのは、公的機関の存在意義そのものを知らない、忘れているのかもしれない。税金ってのは皆のために役立つものを作り上げ、運用していくための費用の徴収みたいなものだからねえ。町内会費みたいなものだ。

無論、町内会費とは違って、税金は国単位での経済のコントロールのクラッチというかブレーキというかコントローラーの意味合いもあるので、極端な話としては費用分はどんどんお金を刷ってしまえばいいのだけど。それってインチキじゃんという人もいるかもしれないけど、そのインチキ技が許されるのが、国の経済の仕組みなのだな。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月28日 07:40に書いた記事です。

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