報道の非対称性の問題

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ここで述べている非対称性というのは、表向きは同一基準で精査され、その上でなら同じような判断・対応がされてもおかしくは無いのに、別の基準が設けられているかのような結果が相次いでいること。例えばテストの点数だけで合否を決めているという受験において、テストの点数がダメダメな人が受かって、満点に近い人が落ちているとかね(名前の書き忘れとかいう話は別にして)。

報道における取り上げ方、反復のされ方とかにおいて、非対称性が行われるのは非常によろしくなかったりする。公知能力が高いのと、権威をある程度持っている存在が、そのような非対称性の下に判断を下していたら、権利の乱用であるのとともに、期待されている成果を上げていない、生成物を生み出していないってことになってしまう。

公明正大に行われているはずの報道が、実のところはファッション業界の色の流行りと同じように、特定人物による思惑で左右されているってことになる。それはよいのか否か。


例えばツイッターでの言及では、時折与党議員の話が否定的な切り口で取り上げられたり、問題視されたりする。地方の講演会での戯言も、聞き耳を立てて反復して否定的に騒がれたりする。けれど与党議員以外で同じような執拗度によるリソース投入がどれだけ行われているか。非対称性の問題の事例としては非常によいサンプル。

たかがツイートぐらい、どのような判断を下しても別にいいじゃんってことかもしれないけど、一方では公的な発言として騒ぎ叩く、他方は触れもしない、基準はどこにあるのか。第一トランプ大統領の話なら、ツイートを公言として取り扱って日々伝えているよね、あれはどうなのよ、という感じではある。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月29日 06:55に書いた記事です。

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