作家アカウントによく「批判を全て受けなければいけない」言う人がいるけど、実際は「批判は全て受け取る必要はない。何なら好意だけ受け取って知らない人の批判はさえぎってしまうくらいでちょうど良い」って感じよね
— マカロニandチーズ (@macaronicheese0) 2019年4月23日
絵とか物語とか音楽といったクリエイティブ性の高いものだと世の中から認識されることが多いジャンルでは特に、作家は受け手側からの感想の類は押しなべて受け入れねばならない、特に批判の類であっても、という話がある。まぁ、違法性のあるものとか明らかに論理的な間違いがあり、それが色々と問題を引き起こすようなものなら受け入れて参考にすべきではあるのだけど。
ただ人の思考能力には限界があるし、昔の偉人や神様のようにすべての声に聴き耳を立てて咀嚼して受け入れられるほど優れているわけではないので、適当にさえぎるのもありなのだろうなあ、という気はする。中には日本語の解釈からして間違っている、軸がずれている人からの御意見もあるし、そういう人の話は聞くだけ時間の無駄だからねえ。
あるお方のお話として、贈り物を受け取らねばそれの所有権は贈る側に残るってのと同じで、批判の類もスルーして受け取らなければ批判した側に所有権は残ったままとなるというのがあった。結局はそういうことなのかな、とも思ったり。
素人物書きなら司法とルールとマナーに犯しない限り好きなもの描けばいいし、プロなら編集さんが『作家の利益の為にも聞くべき批判』を選び『作家の不利益にしかならない悪態や侮蔑』を廃棄して作家さんの意欲を落とさないように上手く伝える。編集さんの話には耳を傾けた方が良いとは個人的に思う
— マカロニandチーズ (@macaronicheese0) 2019年4月23日
SNS上の批判になってない悪態や侮蔑まで全て聞いてストレス溜めるくらいなら、旨い物を食べてメシ画像をツイートしたり気の合う人と好きなゲームの話をしたりした方がよっぽど創作意欲が沸くってものよ
— マカロニandチーズ (@macaronicheese0) 2019年4月23日
作家が世の中に創作物を出す以上、観た人読んだ人聞いた人遊んだ人がどんな感想を抱いてもいいし褒め称えても法に触れない範囲でクソミソにこきおろしてもいい。そして作家には様々な批判や批評に対して怒る自由、無視する自由、受け入れる自由等があるけど「聞かなければいけない義務」だけはないのよ
— マカロニandチーズ (@macaronicheese0) 2019年4月23日
「自分の事が嫌いな人に好きになってもらう努力」をする時間があったら「自分の事が好きな人ももっと好きになってもらう努力」をした方がよっぽど人生の糧になるワイ。持ち味を活かせ持ち味を!
— マカロニandチーズ (@macaronicheese0) 2019年4月24日
特にソーシャルメディアだと意思表示ハードルは低いし、内輪的なチャットどころかテレビに向かって怒鳴っているようなものと同じ感覚で、作り手に罵詈雑言的な批評を成してくるものもいる。そういうものまで対応していたらきりがない。人の一生は限られているし、当然使えるリソースにも制限がある。
明らかに糧になるような話ならともかく、相手の自己満足とか暇つぶしにまで付き合ったり、さらには精神をすり減らす必要はどこにもないのだな。
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