批判を全部受け止める必要は無い

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絵とか物語とか音楽といったクリエイティブ性の高いものだと世の中から認識されることが多いジャンルでは特に、作家は受け手側からの感想の類は押しなべて受け入れねばならない、特に批判の類であっても、という話がある。まぁ、違法性のあるものとか明らかに論理的な間違いがあり、それが色々と問題を引き起こすようなものなら受け入れて参考にすべきではあるのだけど。

ただ人の思考能力には限界があるし、昔の偉人や神様のようにすべての声に聴き耳を立てて咀嚼して受け入れられるほど優れているわけではないので、適当にさえぎるのもありなのだろうなあ、という気はする。中には日本語の解釈からして間違っている、軸がずれている人からの御意見もあるし、そういう人の話は聞くだけ時間の無駄だからねえ。

あるお方のお話として、贈り物を受け取らねばそれの所有権は贈る側に残るってのと同じで、批判の類もスルーして受け取らなければ批判した側に所有権は残ったままとなるというのがあった。結局はそういうことなのかな、とも思ったり。


特にソーシャルメディアだと意思表示ハードルは低いし、内輪的なチャットどころかテレビに向かって怒鳴っているようなものと同じ感覚で、作り手に罵詈雑言的な批評を成してくるものもいる。そういうものまで対応していたらきりがない。人の一生は限られているし、当然使えるリソースにも制限がある。

明らかに糧になるような話ならともかく、相手の自己満足とか暇つぶしにまで付き合ったり、さらには精神をすり減らす必要はどこにもないのだな。

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このページは、不破雷蔵が2019年4月29日 07:06に書いた記事です。

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