「10連休って長いよなー」って思ってる社会人のみなさんへ。
— 紅礼 郷梨 (@gre_goriy) 2019年5月5日
子どもの時は「30日以上の連休」というものがあって、それを純粋に楽しめていた事はありませんでしたか? 夏休みっていうんですけど。
それに比べて10連休って長いですか?
たぶん、「10連休って長ぇ」って思ってしまうようになった大人になってる人らは、各自の昔に比べていまは身近に「休みの時に一緒に遊んだり何かで楽しんだりする"ともだち"」が少なくなってたり距離できてたりしてるからじゃないかなー。
— 紅礼 郷梨 (@gre_goriy) 2019年5月5日
ってふと思う。
まぁ、そんなふうに私が思うのも、昨日とかもるぱたちと大洗に遊びに行ったりしたこととか、その前もボドゲ会やリアル脱出ゲームしにいったりしてたからっていうとこもあるとは思うけど。
— 紅礼 郷梨 (@gre_goriy) 2019年5月5日
ATM使おうとしても手数料がアレだし郵便局などは締まったまんまだし病院とかへのかけ付けも難しいから何かあったらどうしようとか行きつけのお食事処も閉店中だし、10連休ってのは意外に不便だな、長すぎるよな、的な認識を抱いている人も多いだろうけど。確かに指摘の通り、子供の時には7月下旬から8月いっぱいと、合わせて40連休ぐらいの連休があったはず。まぁ、登校日とか学校のプール開きの日があるから、連休という表現はやや問題がある気もするけど。
で、連休の長い短いの感覚って、自分の生活を共有する関係の深い人の多い少ないが影響しているのでは、という指摘。休みの日が日常生活からまったく断絶してしまい、社会生活の上で孤立したような状態になってしまうので、退屈さを覚えてしまう。子供の時の長期休暇は日々友達と遊べたので、そんな退屈さは感じない、とかね。
考え方の視点を変えると、仕事上の時間ってのが日常生活に食い込みすぎて、それが無いと生き甲斐的なものすら失われてしまう...というとオーバーかもしれないけど、存在意義すら疑ってしまうような雰囲気。
この辺りの感覚は就業者に強いと思う。逆に自由業・自営業はあまり感じないのではないかな。というか暦上の連休とかあんまり関係ないか。
なので、たぶん「10連休が短い」って思ってる状態になってる人たちって、実際に10連休が長いって感じてるよりもむしろだれかと接することに飢えてきはじめててそれを「長い」って感じるようになってるんじゃないかな。仕事をしたい、仕事に行きたい、ではなく、「他者と接したい」って気持ちで。
— 紅礼 郷梨 (@gre_goriy) 2019年5月5日
ただ、もしこれが当たりだとすると、そういう人は仕事外で普段から接したり一緒に過ごすだれかや集団見つけないと、もしくは打ち込める趣味をみつけないと、老後すごくわびしく辛いものになっていきかねないんじゃ・・・と思ってしまう
— 紅礼 郷梨 (@gre_goriy) 2019年5月5日
他方この指摘は非常に的確で、就業時間における他人とのふれあい、接触に生きる糧的なものを感じてしまうと、その供給源が絶たれてしまった場合、穴が開いたクッションのようにしぼんでしまうことになる。よくある燃え尽き症候群とか、退職後に他人との接触を得るために趣味を無理やり作ってみるという話。
まぁ、普段から仕事とは別ベクトルの趣味やら特技やら、打ち込めるものを持っていればそのような心配はいらないし、仕事と関連するものであれば職を辞した後でもつながりは維持できるものなんだけどね。
他方、わびしいだけなら個人の問題だから仕方が無いといわれればそれまでなんだけど、そこから転じて他人に迷惑をかけたり、自分のつらさを他人の責にして暴れる、などというケースもあるから、頭の痛い話ではある。重役席にいた人が定年退職をした後に、普通の店などでも、かつての会社内でのようにちやほやされて敬われるような対応をされないと逆切れするとか、ね。
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