議論で勝てないとなると相手の立場を利用して脅迫しにかかるという姿勢はこれまで何度も見てきた。そこまで想定していないと思っているのなら、相手をみくびりすぎだな。
— Bernardo Domorno (@Dominique_Domon) 2019年4月30日
自動車の暴走行為も、狼藉者の脅迫行為も、報道界隈の傍若無人ぶりも、恐らくは以前から一定率・一定数存在していて、それが情報の質の変化によって可視化され、共有されるようになって、増えてきたように思えるだけなのかな、と。
— 不破雷蔵 (@Fuwarin) 2019年4月30日
自分のタイムラインの構成の仕方も一因なのかもしれないけど、ツイッターなどで定期的に目に留まる、道路での無謀運転とか狼藉者による脅迫行為とか、報道界隈の傍若無人な挙動。これって果たしてここ数年で凶悪化、頻繁化してきたのだろうか。印象としてはまさにそんな感じで、世の中急に騒がしく、おっかなくなってきたなという気もする。
けどよく考えてみると、それらの情報は自分がツイッターなりFacebookなり巡回サイトを利用するからこそ得られるものであって、なければ知ることはまずありえない。交通事故の例に限っても、警察庁などの統計の限りではここ十数年、二十年ぐらいかな、の間は毎年ほぼ減少を続けているし、状況はむしろ改善されているはず。
と、なると恐らくは、社会全体、世の中そのものとしてはよくなっているはずなんだけど、自分の手に届く情報、知りえる領域が増え、遠くを見渡せるようになったことで、たくさんの出来事が把握できるようになり、認知可能な情報が増加したことで、「騒がしくなってきた」「事案が増えた」と感じてしまうのだろう。色々な意味での可視化というものだな。
論議で勝てなくなると脅迫をしてきたり、リアルな場での対面で制圧する。実名主義と合わせ問題視されている話ではあるけど、これもまた、脅迫や対面制圧自身がしやすくなったというのもあるけど、以前からそういう界隈は日常茶飯事的に行っていたまでのことで、最近になって可視化されただけなのだろう。
悪事であろうと何であろうと目に留まりやすく、情報として掌握されやすくなる。その分、受け手側がちゃんと精査して正しい判断をしなきゃならなくなる。情報の質の変質ってのが、あらためて認識できる実情ではある。
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